人間はなぜ学ぶのか

どの国であっても、時を経て教育機関ができ、また教育機関以外での日常の生活でも、’学ぶ’事なしで人間は生活をすることは難しく、人間と学ぶという行為はとても密接な関係だと言える。
事実、人間以上に右脳左脳が発達し、言語化してコミュニケーションを取る動物は存在しない。

私は比較的、’学ぶ’という行為を人よりも少し多く行ってきた。
そんな経験から得た自身のタイトルへの答えは大きく二つある。

一つ目は、自身の居場所を増やし、精神的な安静を図れるというメリットがあることだ。
例として、言語習得を挙げるとする。
現在私は、日本に住んでいて、日本で苦しいと思うこと、理不尽だなと思うことに沢山面する。
だがそんな時、日本語以外の言語に頭を転換し、日本語を話さない友人のことを考える。
ただそれだけで自分自身を、現在置かれている状況以外にも自分の居場所はある。と納得させ精神的な安定を図ることができる。
この方法以上に、自己完結型で他人に迷惑をかけない自分の機嫌をとる+安定させる。方法を私はしらない。と声を大にして言えるほど、穏やかでいられる。

二つ目は、自己資産を増やす為だと思う。
今の世の中は、お金がある人がえらいのだろうか?
価値観は様々だが、日本は特にそんな傾向だ。
だが、日本は自然災害が特に多い国であり、世界中どこにいても人間は何にいつ面するかは、予測不可である。
今現在、社会で地位と名誉を十二分に得た人でも、明日どうなるかなどはわからない。
だか、いつ何が起きようと’学び’で得たことは、自身の永久的資産であり、お金のように減っていくものではない。最大の自己投資であるとも言える。

私は自分には何もない。そう思っている。
だからこそ、人の何倍も’学ぶこと’に懸命に向き合ってきた。他者は私自身を、自信過剰な勉励家と読み取る方が多いだろう。だか事実は大きく異なり、自信がないからこそ、自分に沢山投資をしてきたのだ。

人間はそう強くはない。
私自身も、弱いが故に沢山身につけたいものが溢れかえった一人間の例にすぎない。

なぜ人間は学ぶのか?
これは、人間が一生抱えていく問いであると私は考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?