雑文 #137
いろんな暮らしかたがあるんだと改めて思う。
どれが幸せかは人それぞれ。自分に合った暮らしかたが幸せだ。
2017年ゴールデンウィーク。東京周辺はほとんど快晴で、初夏の風が吹いていた。
私は妹と姪と過ごす合間を縫って、友人の家にお邪魔してきた。
正確には、友人の先輩の家に。
友人の先輩が屋久島へ旅行に行くあいだ、友人が猫の世話を頼まれたのだ。
しかしその友人は猫も犬も飼ったことがなく慣れていなくて、いわく動物とどう接していいかわからない。そのため最初の数日、猫好きの私がヘルプに行った。
外に出さない猫と一緒にいると、こうして自由気ままに外に出ることのできる猫は幸せだよなぁ、ごめんねって思う。
私はその友人と三日間、気ままに猫の世話をしたりご飯を作って食べたり、林の中を散歩したり昼間から酒を飲んだり、大きいお風呂に入りに行ったりベランダでコーヒーやワインを飲みながらぼーっとしたり、とりとめのないおしゃべりをしたり猫を愛でたり眠ったりしながら過ごした。
そして気がついた。
こういうの、久しぶりだし、こういう時間の過ごしかた、私には必要だったんだって。
友人とは中学の(それも中3だけの)友達で以後ぽつりぽつりとコンタクトを取っては会ったりしているが、留守を預かった家主さんのことはまったく知らなかった。
もちろん私が泊まること、家主さんに承諾を得ていたものの、誰とも知らないかたの家に泊まるとはなかなかない経験かもしれない。
でもその流れは自然だったし、その家は古いがとても素敵な家だった。
ベランダからは林と田園風景が見え、季節は5月で緑まぶしく、風は爽やかで空気は瑞々しい。
こんなに生き生きとした季節があろうか。
こんなふうに豊かな暮らしかたをしている人がいるのだなあと思った。
田舎暮らしとはいえ、渋谷まですぐ行ける場所で私の秋田暮らしとはわけが違う。
そしてまた気がついた。
私はずっと、ぼーっとすることがなかったんだって。
無益にぼんやり過ごすことはあっても、今回過ごしたように心のリフレッシュを伴いながら暇を楽しむようなことが、ここんとことんとなかった。
私と友人はベランダで、樹木の形が恐竜みたいだと話したり、つがいの鴨や散歩中の人たちのあらぬ妄想をしたり、不在中の猫が何をしているかを話し合ったりした。
日差しはあくまでも心地よく、世の中は私たちの味方であるような気になれた。
ある昼下がり、共通の友人(私の小学校からの友人だ)にテレビ電話した。
近ごろ彼女は好きな九州に引っ越し新しい暮らしを始めている。とても楽しそうだった。
彼女とは2年に一度会うか会わないかなのだが、後日LINEで「元気なような、微妙なような感じだったけど大丈夫?」ときてぴくりとした。
そう、私はずっと元気なような微妙なような感じだったからである。彼女は敏感だ。
私は有意義にぼーっとすることがなかったし、だいたいいつもテンションが低めだった。ここ一年とか、ニ年とかにわたって。
一時的にテンションが上がることはあっても、ギアはいつもロウだった気がする。
夢ばっかりはいっぱいみて。特に何もやり遂げられずに。
錆びついて、止まっていたんだと気づいたんだ。
空を見ていたら気づいた。
動かないと、本格的に固まってしまうよね。
私の暮らしかたはどういうのだろう。
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