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「ゾーン」を体験した話

本日は何について書こうかなと考えていたら「部活の思い出」というタグを見つけたのでこれについて書こうと思います。特に「ゾーン」の存在を確信した体験について書きます。

はじめに

私は小学生のときから陸上競技をやっており、高校生のときはインターハイ出場を目指して真剣に取り組んでました。現在は高校時の怪我などもあり、趣味としてたしなむ程度ですが、各種学生大会、世界陸上などの観戦を楽しんでいます。


今年はコロナウイルスの影響で中止となり、私自身残念ですし、競技者の方は私とは比べ物にならないほどの感情だと思います。その一方で、オンライン上で記録を競い合う大会が進行しているなど、陸上ならではの素敵な措置が取られていることをうれしく思ってます。


前置きが長くなりましたが、私自身の取り組みについてさっくりと書いてきます。

きっかけ

小学校5年生まではサッカー少年でした。幼稚園の頃から6年ほど地元の少年団に所属しており、週に3日程度純粋に楽しんでました。


しかし、学年が上がるにつれて楽しむことから試合に勝つことシフトしていったように感じました。今となっては当たり前のフローだとは思いますが、当時はサッカーは楽しいものという固定概念が強く、なかなか現実との乖離に苦しんでいました。


どうしても、受け入れられないため小学6年生から陸上にチェンジました。正直、陸上の練習は当時からつらいなと思ってました。でも、記録が数値として現れるこの競技に引かれていきました。


小学校、中学校までは自分の記録が伸びることがをモチベーションにやってました。大会で勝ちたいなどの考えはありませんでした。

高校生活

高校生活では中学までとはガラッと変わり、インターハイを目標にして取り組んでいました。少しでも良い順位がとりたい、あの高校の選手に勝ちたいなど、闘争心に火が付いた感じです。思春期ですかね。でも、非常に意識高く競技に取り組めました。


その一方で記録はあまり伸びませんでした。種目は走高跳でしたが、どうしても飛べない高さがありました。1年たっても跳べず、2年生でも跳べず、、なかなかに焦っていました。


時は飛んで最後の大会になります。大会では、その高さが県大会へのボーダーラインとなっていました。さて、困った、と言いたいところですが、とても気持ちが落ち着いてました。今日失敗したら引退、という感情は全くなくとにかく冷静でした。


目の前にあるバーが非常に低く見えました。なるほど、これが「ゾーン」ってやつね、って感じでした。当時、「黒子のバスケ」を読んでいたためゾーン中は目から光が出るものだと思ってましたが、そんなことはありませんでした。最後の大会で「ゾーン」入るなんて漫画の主人公じゃん、と思う余裕があるぐらい、気持ちの良い大会でした。


結局、従来よりも2段階高い高さをクリアして県大会に進み、県大会でも、南関東とかのエリア大会っていうのかな、をあと一歩のところまで争い合いました。県大会でも「ゾーン」とは違うドラマが生まれましたが、それはまた別のお話。

現在

高校のとき、踏み切り足の怪我をごまかしながらやってたので、大学生の今、競技者としては活動してないですが、のんびり陸上と触れ合ってます。昨年は飲み会の漢気じゃんけんに勝利したため、のんびりとフルマラソンに出場しました。のんびり楽しんでます。

ヘッダの画像はボルトが世界記録を出した競技場です。半年前に行ってきました。こんな感じでのんびり楽しんでます。

さいごに

締めとしてこの記事で伝えたかったことを2点ほど。
今思っても高校の部活はしんどかったです。特に記録が伸びない時期は大変でした。だからこそ、


1、最後の最後でなんとかなる
2、部活の友人は長く付き合える友人になる


ということを信じてもらえたらなと思います。なんか熱血スポーツ漫画の精神論みたいになってしまいましたが、私自身、これからも腐らず頑張りたいなと思う所存でございます。

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