私の特性。トラウマ体験と分析。生きづらさについて。とりとめもなく。
生きづらさをハッキリ自覚したのは小学校一年生あたり。私はみんなとは違う生き物だと異物だと感じていた。
みんな、おかあさんやおとうさんや学校の遊びの話ばかりするし世の中の弱者について思い巡らす友達が一人もいなかった。
私はインドのカルカッタに行って修道女になりなくて、いろんなことをたくさん考えていた。
あらゆる人の立場や感情や感覚が無意識に理解できてしまって、それを解ってくれる人は一人もいなかった。
みんななんで呑気に笑ってんの?世界には苦しむ人が死ぬほどいるのに。なんで気づかないの?死ぬほどの苦しみを抱えて生きている人がいることに。
私の家庭は崩壊していた。深夜叩き起こされて屋外で寝ることを強要されたり、刃物を突きつけられたり、頼むからそこにある紐で今すぐ首を吊って死んでくれと、誰とは言わないが、毎日のように言われていた。
とても書かないようなこともたくさんされていた中で、感情を殺すことに全エネルギーを注いでは、家庭に恵まれた同級生を憎んだ。
私の中のちっぽけだけどもなんとか死にたくないという強烈で死にものぐるいの生存欲求。
同級生を見下すことで少しだけ埋まった気がした。なんだかそのあとは死にたくなるんだけども。
夜の公園が好きだった。暗闇はたくさんの大人に見て見ぬ振りをされ続けた私の中の深淵を、否定せず受け入れてくれるようだった。
太陽が嫌いだった。
あんな明るくて底の浅いものなんか大嫌いだど、心の中で毒づいた。
ダサい自己防衛と、くそみたいな優越感。
7歳の私はすでに心が壊れていた。
神さまどうか許してください。私を強い人間にしてくださいと。今でも毎晩祈ってる。
祈りって脳科学でも効果があると立証されてる。
私はいまも思う。ただ明るく笑うだけの自分じゃなくて痛みと苦しみを包括した優しさと明るさと憂いを持ち続けたいと。
それ以外で
私が幼い頃に経験してしまったこの痛みを生かす道があるの?
何度も折れた。腐った。自暴自棄になった。
それでも私は人間を信じる。
それでも私は、ずっとずっと、諦めない。
こんな私を投げ捨ててくれと大切な人に願う気持ちと、どうかそばにいてくれと願う気持ち。
矛盾を孕んで、私はまた明日も生きる。
#生きづらさ #アダルトチルドレン
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