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季節の果物を買いたくて、夏。

(画像は西友で購入した桃です)

いつの間にかそこそこ中堅の新卒3年目になってしまった。
周りの友達は忙しながらも、楽しそうに仕事をしている様子を見て
時折自分だけ時間が止まってしまったように感じる。

もちろん仕事はそこそこ(怒られそう)楽しいし
職場環境もまずまず…

でもね〜完全に中弛みになってしまったなと
そして自分が勤めている会社の天井がなんとなく
見えてしまって、それもやる気を失いつつある原因になっている。

そんな気分を抱いたまま夏を越してしまいそうで
でも、それはせっかくの20代が勿体無いし
未来の私が「しゃんとせんかい!」といびっている未来が
目に見えるので、もう少し自分がなりたい未来に向かって
歩みを進めるタイミングだと思った。隅田川花火大会の中継を見ながら。

今日はふと、そんなことを思ったので
置物と化したMacbookAirに電源をつけたら
最後にふれたのは今年の3月だったらしい
人のやる気って線香花火の終わりのように
あっという間だから、細く長く続けていきたい

話は変わり、タイトルに戻るんだけど
小さい頃って当たり前のように祖母の家や食卓で
果物が出てくるのって、すごい贅沢だったんだなと
大学生の時に感じた。
手が黄色になるまで食べてたみかんも一人暮らしの
貧乏大学生には厳しいものがあって
当時、心のゆとりはこのようなところから薄れていくんだなと
思った。

だから今、社会人になって
たまの楽しみに季節のフルーツが買える喜びをひしひしと感じてる。
そして、美味しいものを自分で独り占めするんじゃなく
周りの人に食べてほしい!と思う気持ちも。
そんな小さな心のゆとりをつくるために
私は働きたいし、もっと稼いでやるぞ〜という所信表明でした。
(最後だけ欲がすごい

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