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私のこと 001
1992年生まれの28歳
出生地:香川県丸亀市
私が生まれた当時の家族構成は、両親と、庭を挟んだ離れに住む母方の祖母の4人での生活。
家族はみんな和菓子屋さん。家族経営の小さなお菓子屋さんだった。
3店舗あった店も、小学校に上がるころには2店舗になり、私が成人する頃には立ち退きのため1店舗だけになった。
自宅と会社は別の場所にあり、学校から帰るとひとりぼっちになる私は、たくさんの習い事をさせてもらっていた。しかし、どんなことにも興味がわかず、中途半端なままで終わってしまったのは申し訳なく思っている。
よく、「子供の頃からお店のお手伝いをしてたの?」と聞かれるが、お店の手伝いには全く興味がなかった。むしろお店がお休みだったらお母さんが遊んでくれるのに!と思っていたくらいだ。
そんな怠け者の小学生時代を過ごす中で、子供心に「大人って学校の話をよくするな」と感じていたのだ。となりの家の彼はどこの高校。あそこのかばん屋さんは隣町の高校。その話題はいつも、どこの”大学”ではなく、どこの”高校”。みんな母校に愛を持ち、同じ時間を共にした仲間を大切にしているのだろうと幼心に感じていた。
そこで小学生の私は考えた。「私はどんな道を歩むのだろう」
小学生の私は、高校について調べるということをしなかった。そもそも、調べる、聞く、という発想さえなかったのだ。
どんな道を歩むのか。ということまでは考えたが、具体的なことなんて何も分からなかった私は母親の母校へ通おうと決めた。
”店の手伝いはしたくない。” ”お店なんて休みだったらいいんだ。”
そんな怠け者の私でも、和菓子屋さんという職業に憧れていた。私は将来和菓子屋さんで働くんだ。という道が明確に見えていた。
だったら、今和菓子屋で活躍しているお母さんと同じ道を辿ることが和菓子屋さんになる近道なんじゃないか。と信じ込み、母親の母校でもある、地元の中高一貫私立校を受験し、多くの友達と別れて私立中学へ進んだのだった。
※平成5年 1歳の私
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