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211107⑥ うつろぎ

私は何度もなんども自己喪失に陥ってしまう。

明確な答えを求められれば求められるほど、今の自分の中に明確なものなんて一つも存在しないから、わたしは明確なものを外注しようとしてしまう。

明確っぽくて、正解っぽい、近くに落ちていたそれを拾っては、さも自分のものかのように誰かに言ってみたりするのだけれど、それは自分のほんとうのものではなくて、偽物で、それがしんどかった。

本物を見つけるためには偽物を本当だと信じてやってみるのがいいのかもしれない。私だって一度は本物だと信じてみるのだけれど、どうしてもしっくりこなくて、結局まだ信じきれないものばかりだった。

何が自分の本物なのか、考え始めたらとてもしんどくなった。

たぶん何においても本物なんてなくて、すべては偶像だと思っているのだけれど。今の私には偶像を本物だと信じられる勢いがなかった。逆に言えば、偶像だと疑える余裕が今の私にはあるみたいだ。

べつに自分がどの偶像を本物だと思ってもいいと思う。
それを本物だと信じられることが何よりも大事だから。

偶像と疑う余裕がある今の私を納得させるには、心が本当にいいなと思ったものを見つける方法が一番良いと思った。

明確で正解っぽいものをどこかから拾おうとしているうちは見つからないかもね。

そもそも、私の中に明確なものなんてない。ってたぶんどこかで信じていて、その時点で私の中から明確なものを探すなんてお門違いなんだと思う。

明確なものを私の中から探し出すのはやめよう。

明確な何かをまだもっていない私は、多分これからすごく苦労するのだと思う。明確なにかがなければ、認識されにくいから、必要とされにくい。

これからたくさんの経験を積み重ねていって、歳をとって、そうするうちにだんだんと「明確ななにか」みたいなものが積みあがっていくのかもしれない。もしかしたら全然そういう「明確ななにか」に見えるものみたいな形には積み上がらないかもしれない。

でもそれでもいいのだと思う。

私はそういうのあいまいなのが好きだ。

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