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最愛の祖父のメモリアルリングで人生が変わった

こんにちは、MOMOです🍑

突然ですが、皆さんは「〜がきっかけで人生変わった」っていう経験ありますか?
きっと、人それぞれにいろいろなきっかけやターニングポイントがあるのだろうけど今回は私がメモリアルリングで人生が変わった話を書きたいと思います。

私は、右手薬指に指輪を付けています。
祖父が天国に旅立ってから、しばらく家から一歩も出ず毎晩泣き続ける私に、姉が「どこに居てもずっとじいちゃんを感じられる指輪は作るのはどうかな。」と言って、祖父の遺骨を埋め込んで作ってくれた世界に一つだけのメモリアルリングです。

幼い頃から、じいちゃんっ子だった私。両親が共働きだったこともあり、祖父母が毎日面倒をみてくれていました。私が2歳の時に祖母がガンで他界し、それからは「俺が孫をみる」と大工として棟梁をしていた祖父は自身の仕事を減らしひとりで5人の孫の世話をしてくれていました。
保育園のお迎えはいつも1番早くて、帰ったら必ず私の好物のおやつが用意してあって。両親の帰りが遅い時には、愛情たっぷりの親子丼を作ってくれて一緒に夜ご飯を食べ、お泊まりの日には祖父の懐に顔をうずめながら寝ていた私。
学校へのお迎え、習い事や塾の送迎…職人で仕事人間だった祖父は「孫の成長が自身の生き甲斐」と無償の愛を注いでくれていました。
祖父が他界するまでの25年間、私が海外に行っていた2年間を除いてはずっと一緒にいたので、なかなか現実を受け入れられずにいました。

でも、姉からこの指輪をプレゼントしてもらってから「じいちゃんを側に感じられる」と少し心の整理がついたように思います。

「もも、がんばろ。じじより」
内側には祖父の直筆の文字を入れてもらいました。
これは、私が台湾に居る時に姉が日本から送ってくれたじいちゃんからの最後の手紙の文。私が日本にいない間は元気にしとく!と毎日、卵を飲み続け風邪になるまいと日々奮闘していたそうで。「がんばれ!」じゃなくて「がんばろ。」っていうのが、祖父らしいなというか、祖父も毎日を必死に生きてくれていたんだなぁと。私が長期で海外に行くってなった時、祖父には最後までなかなか言えずにいたのですが、渡航する数週間前に伝えた時「頑張れ!行ってこい!」って言ってくれました。
本当は私が帰ってから布団の中で1人で泣いてたらしく。この事は、私は当時は知らず後になってから姉から教えてもらいました。祖父の泣いた姿を見たことがないから、それを聞いた時は私までもらい泣きしたなぁ。

視力が弱くなりがらも毎日日記を書いていました

きっと一生外すことのないこの指輪。見る度に祖父を思い出して元気になれるし、触れる度に「頑張ろう」って思えます。そして、生きている限り日々全力で生きようと感じることができます。
このメモリアルリングは、最愛の祖父との別れの悲しさを癒してくれ、より人生を楽しんでいこうと鼓舞してくれました。
”人生を変えてくれた”というよりは”より人生を楽しもう”と思わせてくれたと表現するのが正しいかもしれません。


「桃子はずっとそのままで元気で明るい子でいなさい」と言ってくれていたので、これからも何事にもポジティブに明るく元気に、このメモリアルリングと共に歳を重ねていこうと思います。



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