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この世は写し世=現世。

きのうの投稿で、映画”すずめの戸締り”の「わたしはすずめの〇〇〇ー」の考察をしてみましたが、映画の中でも、大きくなったすずめが、宗像壮太くんに
「この世は写し世」ってセリフつかってましたね。
なので、このことについて、私が感じていること、思っていることについて書いてみたいなぁと思います。

あ、ちなみ、昨日の投稿はこちらになります。
よかったら、ぜひのぞいてみてください!

↓↓↓
https://note.com/momoko_abe/n/n4b87d7080434?sub_rt=share_pw

写し世って、どういう意味なんだろ?
そのまま解釈すると、何かによって写しだされた世界。
「うつしよ」って、パソコンに入力すると、現世、と変換されます。

てことは、今、私たちが住んでいる世界は、写し出された世界なのでしょうか!? 映画「マトリックス」のように、電極ぶっ刺されて、電極つけられて写し出された世界を見てるって、ほんとってことなのでしょうか!? 

もし、このことが現実だとしたら、どうやったら、私の身近なことから、生活しているという日常が「写しだされたもの」と感じられるのか、すごくすごく考えた時期があります。スピ的な動画みても、なんか本質的なことがわからないし、ふわっとしすぎているし、結局、キアヌリーブスのカッコよさを味わうための映画で作り話か、という結論に達していた私です。笑

でも、ある時、めっちゃ身近なことから、アッ、そか、と思えました。実はここ数年の話。←どんだけ時間たっとるねん。

朝、鏡に向かってにーっ、て、笑った時、気付きました。

「鏡って、私が笑ったから、笑った私が見えてるってことよね」

やばくないですか?
鏡は、勝手に笑うことはないのです。←笑ったらまじこわっ。
私が笑わない限り、絶対笑わない
ということは、私が見ている世界は、どこまで行っても私の投影世界。
私が怒れば、怒った私を見るし、
悲しければ、悲しい私を見る。

これが、マトリックスの世界やん!!!=写し世=現世やん!=今=この瞬間やん!

この私たちが生きてると思っている目の前に広がる日常って、写し出された仮想現実ってことになりますよね??

写し出している大元は、目に見えない私たちの意識!!??

じゃ、意識って何? 
どんどん深堀していくと、とめどもなく私の考察(もうひとりの私とのおしゃべり)が止まらなくなるので、今日は、この世はマジで写し世ではないのかという話でとどめたいと思います(^_^;)。

ということで、驚き?(知っている人は知っているので当然だとおもいますが)ですが、私たち肉体が生活している日常は、実際には無い仮想現実を、私という肉体の乗り物を借りて、生きている(観ている)ということになりそうですね。
そして、写し出す映像は自分の意識ひとつ。仏教でいうならば、色即是空、色即是空。この在るという日常が「唯物」だとしたら、この色即是空で考えると、実は私たちは「唯識」で生きているんではないでしょうか?

病気も、嫌なことも、嫌な人も、全部全部、自分の意識が作り出していると考えれば、自分が意識したことが嫌と思う現象で現れたのだから、じゃ、やることは、そこに意識を向け、理解を深めなければならい理由があるから、意識がそう発動して、映写機を通してこの世の写って起こったこと、ととらえることがとても大事だと思うのです。

「意識」って、すごいです。
ある意味、自分が観てる世界のプロデューサーです。プロデューサーは脚本を変えることもできるのだからね!だから、未来は自分の意識一つ。未来は明るい、と私は思っています。

どうでしょう?私の写し世感。
また、感想をいただけると嬉しいです。

日本の皆様、今日も一日お疲れさまでした。


追記:写真は、朝焼けのマイアミビーチ向かう私(Momoko)です。今日、生まれたての太陽が、一日楽しめよーって笑ってくれました。











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