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私の転職 放浪記

私は30歳になる事に機に、派遣から正社員になるため、
就職活動をし始めた。

それまでは飲食、ホテルのフロント、レコード店、求人広告の会社いて
誰かに自慢できるような特技も資格もなく、どうしようかな、、、って思っていたところに見つけた会社。

小さな会社だけど、スタートアップに関われるみたいで楽しそうだな、というのが第一印象。

幸い、面接の時点で採用され、ありがたいことに就活をはじめて1発目の企業で内定をもらったのだ。

そこで実際に働き始め、東京駅近郊の会社だったので
毎日キラキラした風景を見ながら帰路につけるのが
田舎育ちの私にとってはとても続けていくモチベーションになっていた。

仕事内容はというと、社内には上司と私の二人しかおらず
(本社は名古屋 従業員は15人ほど)
毎日丁寧に仕事を教えてもら…と言いたいところだが
そんな期待は大いに外れて、基本的にほったらかし。

とにかくこの仕事内容を理解してもらうために、と制度を学ぶことに徹するように言われ、
毎日参考書と制度PRのホームページを行ったり来たり。

上司は外回りか何かでずっと外出。

それでも3ヶ月後には、本部の人たちが分担して行っている仕事を一人でもなんとかできるようになった。

そこからも毎日学ぶことの連続で、上司は私に指導することを辞退していたため、本部の人に聞くも、なかなか快く教えてくれない。

だったら、と、自分で模索しながら制度をマスターしていった。

入社から5年。
取引先の企業様にも上司のダメさがじわじわとバレ始め、
企業様からの連絡は私に直接来るようになった。

とは言っても、営業などの職種は通って来なかったため
企業様からの電話がなるたび、
企業様からお呼びがかかるたび、
心臓が飛び出しそうなほどドキドキしてしまって
ストレスで胃にポリープができた。

頼まれごとは試されごと

私の好きな言葉だけど、この時は本当にいっぱいいっぱいになってしまって
使えない上司に、非協力的な本部の人たち。

でも頼りにしてくれる企業担当者様と仲良くなって飲みに行けたり
そんな良くも悪くもない社会人生活をしながら生活していた。

そんなある日、社長から「娘を入社させたい」と一報がはいった。

時期は6月。
梅雨に入る前だった。

「なぜこんな時期に入社???」

一同が不思議に思っていると
どうやら新卒で入った会社を2か月で退職したらしい。

「だからパパの会社で働きたい」、との申し出があったそうだ。

『なるほど…』と社員同士、顔を見合わせていると、
なぜ2か月で退職に追い込まれたかのアピール大会が始まった。

いいですよ、どうぞ。
どうぞご入社ください。
どうせ私たちには拒否権なんてないのでしょうから。

その後、無事にその娘は入社した訳だが
新卒で入った会社で社会人研修を受けたと言っていたから
名刺の渡し方等の社会人心得の土台は有るものとしていたが
訪問時にスマホはいじるしカラコン、マツエクは外さないしで
クレーム多数。

でも上司をはじめ平社員の私も、彼女に注意なんてしません。

そのまま成長していってほしいので。

私はいつしか、あまりにも多いクレーム対応や思いがけない指導の量の多さにとうとうシャッターガラガラ状態で
もう”退職する”という目標が決まっていないと出勤すらできない体になりました。

引継があるからと、退職日を3か月後に設定し、辞表を提出。

まあ、1か月ぐらいで新しい職員を雇って
2か月くらいみっちり引継ぎを行えば、回るでしょう、と思っていたら

そういうときって負のオーラが求人広告から出ているのでしょうか。

まったく応募が無い。

あっても面接後に辞退の電話が必ずくる。

なんなんでしょうか。

あっという間に3か月。

何も引き継げないまま退職しました。

。。。え(´;ω;`)?

使っていなかった有休が1か月分あったので
1か月まるまる休んで
心に余裕が出来たら就活しよう~と思っていました。

そんなこんなで、今の会社に入ったわけですが

入社して5か月。

会社の業績がいいからって臨時ボーナス(1.5か月分)もらえるし
教えてほしいことは丁寧に教えてくれるし

あのとき一人で頑張ってたことも評価してくれるし

ほんとに離れて良かったな、と日々実感しながら仕事してます。

会社は一つじゃない。

自分が、何が出来て何が出来ないのか
何がしたくて
何をしたくないのか

今の会社に入った決め手はなんだったっけ?
と振り返ってみるのもいいかも。


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