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娘の担任との出会い

小6の娘が通っている学校が冬休みに入る前、担任の先生(通称りょう先生)と小学校生活最後の面談をしました。

娘は自閉症で、中程度の発達(知的)障害もあるので

公立の小学校の中にある『特別支援学級』に通っています。


先日の面談のメインテーマはズバリ!

【娘が学校に行かなくなった理由】について。

先生は、私とほぼ同年代で、娘より少し大きい息子君がいる。

とても気さくで話しやすい担任だからこそ、腹を割って話したいな~と思っていました。

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娘は昨年、ほとんど学校に行っていません。

緊急事態宣言が出てからはもちろん、

解除されても、なかなか以前の生活には戻れていません。。。


コロナが流行りだす前は、

学校が大好きで、無遅刻無欠席だった娘。


朝だって、家族の中で一番はやく起きて、

1人で身支度をして朝ご飯を食べて、

毎朝、7時27分ピッタリに玄関を出る・・・

そんな日常が急にできなくなって。

当初、何度も聞かれました。

『なんで学校に行っちゃいけないの?』

って。


自閉症というのも関係してるのか分かりませんが、

毎日、家から一歩も出ない生活を強いられて、

だんだんそれに慣れてきたと思ったら、登校再開。

大人だって、出勤の足取りが重くなる状況で

学校や親の言うことを素直に、

なんの疑問もなく、

すんなり受け入れた子供が何人いるでしょうか。


娘が「学校に行きたくない」と言い始めて

その都度理由を聞いていましたが、

「お腹が痛い」や「頭が痛い」と。

痛みは本人にしか分からないし、

学校でいじめや、障がい児に対しての差別がある訳でもない。

今までこんなことを言ったことがない娘が発しているその言葉を信じ、

娘の希望通りに休ませました。

しかし、毎日休むと、今度は学校に行くタイミングが掴めず、

完全な不登校になることは

経験者の私が分かっていたので、

なんとか1日おきに学校に行けるように促していました。

その時、何度も聞かれました。

『なんで学校に行かなきゃいけないの?』

って。


先生とはその都度、連絡を取り合い、

最初は無理にでも毎日学校に来ることを希望していた先生も、

私と話していく中で、いろんな状況の変化に対応していただき、

『この子にとって、最善の選択をしていきましょう』とタッグを組みました。


そんな先生と初めてお会いしたのは、

娘が小学校3年生の時。

冒頭に『無遅刻無欠席』と書きましたが、

今の先生が赴任してくるまで

「学校に行きたくない」と駄々をこねることも多々あったんです。

前任の先生が悪いわけではなく、

娘も小さかったし、なにより学校自体が楽しくなかったんだと思います。

その頃は、特別支援学級も、

所謂『型に嵌った学習』が多く、障害のある子供たちにはかなり苦しい日々だったと思います。


そんな中、赴任してきた今の担任の先生。

第一印象としては「とても騒がしい人だな」でした(笑)

声も大きく、身振り手振りも大袈裟で、

本当、最初は『大丈夫かな・・・』って感じでした。

しかし、私の予想とは裏腹に、

娘が楽しそうに学校の話をするようになってきたんです。

よーく話を聴いてみると、

「今日はバブロケットやったよー!」
(入浴剤のバブをカメラフィルムのケースに入れて蓋を飛ばすやつ)

とか

「肝試しして、泣いちゃったよー!」

とか。

へ?(笑)

なんか楽しそうだな・・・

学校だけど学校じゃないみたい。

そんな感想を持ちました。


あれから数年。

先生は相変わらず、騒がしいです(笑)

遠足でバスに乗る時はギターを弾いて見送り、お迎え。

リアクションはどの生徒よりも大きく、

体全体で感情を表現して、生徒に気持ちを表しています。

運動会ではどの保護者よりも、どの生徒よりも、

大きい声でみんなを応援し、

本当に、そのエネルギーはどこから出てくるのか聞きたかったのです。


そんな先生を、傍から見ていていつも思っていた質問を、

この、小学校生活最後の面談で思い切って聞いてみました。

『先生は、なぜ ”先生” になったんですか?』

帰ってきた回答は・・・

先生「えーっと、、、お母さん、教師ビンビン物語って知ってます?」

(ぷぷぷーーー(*´艸`*)やっぱり、りょう先生らしいw)

私「もしかしてトシちゃんの!?」

先「そうなんです、あれに憧れて!」


私もばっちり世代ではないものの、

子供のころ夕方の再放送で見た覚えがあります。

なるほど、あの熱血教師に憧れてるからかぁ~!

と、妙に納得と同時に素直過ぎる回答に思わず笑っちゃいました。


そして、昔から小さい子が好きで、

学校の行事や友達の兄弟に対しての接し方などを見ていた周囲の人からは

「保育士か教師を目指せばいいんじゃない?」と言われていたそうです。


そこで、意を決し、

いざ教師を目指していた最中、

先生の年代では小学校の教師の受け入れがとても少なかったらしく、

(先生より少し前の年代の教師を入れ過ぎたらしく、どこにも新人が入る隙間がなかったそう)

そこで、今でも『恩師』と呼んでいる方と出会い、

養護学校の教師なら空きがあると聞き、

今の道を選んだ、とのこと。


しかし、身近に障害を持っている人がいなかったため、

最初は本当に右も左も分からず、

どう接していいのか、話し方から何から何まで分からなかった。

でも、だんだん時間が経つにつれて、

生徒ともコミュニケーションを取れるようになり、

ものすごく「やりがい」を感じできて、

障害という意味をはき違えていたことに気付いたそう。

だから今では『特別支援学級』とう言葉にも違和感を感じているとも話してくれました。

いろんな人との出会いや関りがあって、

今まで出会った人、1人が掛けても今の自分はいない、と。

この一連の話を聴いて、

『あぁ、娘の担任がこの人でよかった…』

と心底感動しまして、少し泣きそうになりながら話をして。


ふと教室を見渡すと、

黒板に【○○(小学校の名前)フェスティバル】と書かれていて、これは何かと尋ねると、

今年、このクラスの子供たちは校外学習にも行けなかったから・・と、

隣の教室全体に段ボールで大きな迷路を作り、

窓全開でガンガンに換気して、

密にならないよう1人ずつ入り、

迷路の途中に少し開けたスペースを作って、

そこに「お札」を設置。

これをゴールまで持ってこれた人が勝ち!

しかも途中途中に先生方のオバケが待機。

・・・というイベント(?)をやってたらしいw

クラスには13名の生徒がいたものの、

「ちゃんとゴールで来たのはたったの2人だったんですよ!!!」

こっちまで現場にいたかのように思えるほど詳しく、

楽しそうに教えてくれる先生…(笑)


その時の先生の目の輝き方が尋常じゃなくて、

久しぶりにこんなに生き生きとしてる人を見た気がします。


先生に「アイディアがすごいですね」と伝えると、


「ありがとうございます(^^)

でも実際、自分が楽しいんでやってることに巻き込んでるだけみたいなもんです(笑)

僕が全力で楽しんでたら、みんなも楽しいだろうなって。

やっぱり、楽しい方がいいじゃないですか。

学校って楽しくなきゃ意味がないと思うんですよ。

今は給食の時間だって、みんな前を向いて、一言もしゃべらずに黙々と食べるんですよ。

○○(娘)が学校に来たくなくなったのも、僕は悔しくて…

実際に学校にいると物凄く楽しそうにしてるから。

だから、最後の小学校生活も一緒に過ごしたい…

でも、強要はできないし、○○(娘)が悪いわけではないですし。」


こんなにも自分の仕事に真っすぐ向き合っている大人がすぐ近くにいたことに感激しました。


最近よく耳にする、これ

ライスワーク 
食べていくための仕事。

ライフワーク 
自分の使命と思える仕事で働くこと。


これに先生を当てはめると『ライフワーク』に入るのかな?と思う。

楽しいとかワクワクとか、

こういった高揚感を味わいながら、体や心の赴くままに行動し続け、

気が付いたら、誰かのためになっている。

そして、周囲の他の教師や、保護者も含めて、

知らないうちに大きな影響を与えてる。

自分はもとより高い意識を持っているが、

無意識(自分の使命を全うしているだけ)に

周囲の人の意識も高める。


そんな働き方って、理想だ。


過労や人間関係で自ら死を選んでしまう人が多いこの世の中で、

自分の働き方や仕事に対しての考え方を改める時間が必要なのかもしれない。



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