今日も自分を褒めるのだ

2年間、毎朝起きてパートナーのお弁当と朝食を用意し続けてきた。
あと1日。
お弁当と朝食を用意するのも、あと1日だ。
パートナーが新たなステップに進むということで、ほんの少しの間、休憩する。
子供の進学を見守る母親のような気持ちだ。

学生時代、私は家を出る15分前に起きて、朝ご飯は食べず メイクなんかは当然できず、家を出ていた。
髪もくしゃっとまとめるだけだった。
前日の夜に用意した、タッパーに入れた、夜ご飯の残り物を鞄に無造作にいれる。
とにかく家を出るギリギリまで寝ていたかった。

でも、理想は違った。
朝は出る1時間前には起きて、朝食を優雅に食べて、昼食用のお弁当をつくり、髪もきちんとセットして出るのが理想だった。
もっと欲を言えば、2時間前には起きて、まずは軽く運動をして、シャワーを浴びて、朝食を食べ、昼食用のお弁当をつくり、髪をセットして出たかった。
ちなみにメイクは、理想のスケジュールのなかには入っていない。

「男とか女とかでなく、あなたはあなたっていう存在だよね」と言われる私にとって、メイクは体裁を整えるためだけのツールだ。
女だからメイクをしなければならない……という発想はない。
たとえば、学校に入学したてのとき、複数人の前で発表があるとき、アルバイトの面接のとき、初対面の人に会うとき、就活のときにはメイクをする。
あくまで体裁を整えるためなので、1ヶ月も経てば、メイクはしなくなる。
会社の飲み会で「メイクはしてないですよ」と言ったら上司に驚かれたから、「気づかれてすらなかったなら、してもしなくても一緒だな」と、無駄にポジティブに考える性である。
大学生のとき、学会発表のためにピシッとオフィスカジュアルな服を着て、メイクをして行ったら、見知らぬおじさんに「君、中学生?」と聞かれたし、してもしなくても結局変わらないのである。
中学生が学会発表に来てるわけないやろがい!!

そんな私が、2年間も、毎朝早く起き続けた。
体調が悪い日を除けば、毎朝だ。
起きて、パートナーのお弁当と朝ご飯を用意するだけだけど……理想だった、運動もシャワーも自分の朝食も髪をセットすることもしていないけど……よく頑張ったなあと自分を褒めたい。

本当なら、パートナーに思いっきり褒めてもらいたいところだけど、本人は精一杯感謝の気持ちを表してくれているし、これ以上求めてはいけないと自制する。
元々、あまりお礼を言う習慣がなかったところからすると、お礼を言ってくれるだけで大進歩なのだ。
褒めてもらいたくて色々言ってみても、パートナーからしたら負担らしく「べつにやらなくていいよ」と不貞腐れるのが難点である。
褒めてほしいだけなのになあ……と、たまに寂しく思うときもある。

美容院に行ったとき、職業がトレーダーだと言うと「どういう風に毎日過ごしてるんですか?」と聞かれた。
「朝起きて、パートナーのお弁当と朝食を用意して、寝て、アニメ見て、ゲームして、パートナーが帰ってくる前に夜ご飯作って、帰ってくるときにお迎えに行って……余裕のある日は掃除とかして」みたいに答えたら、「めっちゃパートナー中心ですね!」と言われた。
わかってはいたことだけど、改めて他人からそう言われると、なんだか不思議な気持ちになった。

私のなかでは「仕事の合間にできることをしている」という感じで、意識上では、パートナーを中心にしているつもりはなかった。
トレーダーは待つのが仕事だと思っているので、待っている間にできることをしているだけという感覚。
待つ時間に、パートナーに「朝食やお弁当を用意してほしい、駅までお迎えに来てほしい」と言われているような感覚。
お迎えは、毎日の散歩も兼ねていて、一石二鳥。
朝起きるのだって、自分が元々抱いていた理想のうちの1つだ。
私は隙あらば寝ようとするから、どんなに「早起き」を理想に掲げても、何かキッカケがないと起きられない。

私の性格はそんなに良くない。
だから、どうしても眠たいとき「私が会社員だったとき、パートナーは合わせて起きてくれなかったじゃん。なんで私だけこんなに尽くさなきゃいけないの?」と思ってしまうこともあった。
でも、元々自分の掲げていた理想の生活を、半ば強引にでも送らせてもらっているのだから、結局褒められなくたってなんだって、理に適ってるのだ。
散歩すらできない人が、ちゃんとした運動なんてできるはずもない。
朝食を用意すらできなければ、食べられるわけがない。
二人で出かけるときの色々なセットを、パートナーはいつもしてくれる。
「眉毛伸びてきた!」と言って、せっせと私の顔を整えてくれる。

なにより、離れ離れになる前に、毎日大切な人の顔をちゃんと見ておきたい。
いつ事故や災害が起きるかなんてわからないこの世の中で、1日1日をないがしろにしたくない。
どうしても寝不足だったり低気圧だったりで、起きたくないときはある。
それで誰かを責めたくなってしまうときもある。
でもやっぱり、その程度のことで、顔も見ないまま今生の別れを体験するのは絶対に嫌だと思う。
だから毎朝起きて、お見送りする。

なかなかいろんなことが長続きしない私だけど、ズボラな私だけど、自分にとってのメリットが大きいからこそ、続けられたんだと思う。
最近は仕事もなかなか良い方にいっている。
油断は禁物だけど、自分の成長を日々感じている。
大きな刺激はないけれど、少しずつ少しずつ、着実に前に進んでいる。
そんな日々を嬉しく感じる。

学生時代には、こんなふうに生活できているなんて想像もしていなかった。
いろんなことが予測できて、自分の人生は自分でコントロールできてると傲慢だった頃もあった。
でも、こんな穏やかな気持ちを抱けて、ちゃんと誰かのためを想えていて、小さな努力を積み重ねられるようになった自分を想像したことはなかった。
そうなれるなんて、微塵も思わなかった。
努力できることは、才能だとすら思っていた。
もちろん才能もあるんだろうけど、それが全てではない。
大半は、どんな人と出会えるか、出会えたときに自分がどれだけ素直であれるかが大事なんだと思う。

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