意外と自分は不器用だった

ここ最近、忙しなく動いている。
忙しなくと言いつつも、はたから見ればきっと、そんなに忙しなくない。
けれども今、私は人生で一番、まともに努力できていると思う。
努力と言うにはあまりに楽しいが、きっとこれを努力と言うのだろうと、俯瞰的に自分を見ている。

そして初めて、私は不器用なんだと知った。
昔から自分のことを「器用貧乏だな」と思っていた。
まわりの人からも器用に見られた。
だからと言って「何か得したか?」と言われても、あまり得したことはなかったようにも思う。
しいて言うなら、仕事が人よりちょっと早いくらい。
仕事がちょっと早くても、特に得はしない。
むしろ、やらされる量を増やされるばかりなのだ。

でもなぜ早かったかと言えば、それは器用にすべてをこなしていたからではなく、単純にサボるのが上手だっただけだとわかった。
「サボれるところをサボっていた」
それが私の器用の秘訣だった。
手先がそこそこ器用で、スピードがはやいこともあったけれど、結局それも、悪い言い方をすれば「雑」だったのだ。
面倒なことを極力避け、やれることだけをやっていたに過ぎなかった。

だからいざ、何かを真剣にやろうとすると、器用にこなせなくなった。
投資をやりながら、本の執筆をする……たかが2つなのに、まともに2つを両立できない。
2つをいっぺんに集中することの難しさを心底思い知らされる。
投資に集中すれば、本の執筆に身が入らない。
本の執筆に集中すれば、投資に身が入らない。
たまに両立できることもあるが、そうすると、生活がおろそかになる。
体力を使い切ってしまって、翌日寝込むこともある。
それではまともに両立できてるとは言い難い。

私が器用にサボれていたのは、組織に属していて、誰かがカバーしてくれていたからなのだと知る。
私は、元々人のせいにする傾向にあることはわかっていたけれど、こうも人任せな人間だとは思っていなかった。
ひとりでやってみて、いろんな穴に気づく。

noteすら書く余裕がないんだから、それほど夢中になってるってことだと実感する。
こういう時間を、きっとしあわせと呼ぶんだ。

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