見栄とかお節介とかその他もろもろの話

どんなに自分の人生に満足していても、どんなに自分は大丈夫だと思えていても、キッカケさえあれば気分が落ちるときはある。
今年に入ってから嫌なことに嫌なことが重なり、気分はどん底だ。
でも「いつまでもこのままじゃいけない!」と思い、モチベーションを高めるためにも、将来の夢を考えたり、他人から褒められたときのことを思い出したりして、なんとか気持ちを上げた。
外に出て、太陽光を浴びたり、散歩して体を少しでも動かすようにもした。
けれども、気持ちを上げたところで、悪いことに悪いことは重なるもので、相変わらず仕事はなかなかうまくいかないし、住環境も最悪なままだ。

私はもともと家事をマメにするほうではなかったけれど、パートナーが気にするので、がんばって日々こなしてもいる。
専業主婦でもないのに、だ。
お金は平等に支払っているから、パートナーが喜んでくれたり、褒めてくれたりしなければ、そのうち爆発する。
挙句文句を言われた暁には、すべてを放り出したくなる。
「私は無料の家政婦じゃない!」と。
……でもそれは口に出したことはない。
母が私によく言っていたセリフだからだ。
こういうとき、つくづく自分が嫌になる。
母とは和解できたはずなのに、こういう小さな棘が、まだ刺さっているのだと実感させられるから。
芋づる式に、嫌なことを思い出す癖はどうにかならないものなのだろうか。

「靴を新調したばかりで大変だろう」と思い電車で席を譲ったら、「いい、いい」と大声で拒否された。
危ないからと、多少強引に座らせたら、もの凄く不機嫌になられた。
せっかく出掛けたというのに、最悪な雰囲気。
親切な隣の人が席をあけてくれた。
私はお礼を言って座り、横を見た。
まったく目が合わない。
ボーッとしてると、涙が溢れそうになった。
その程度のことで泣けてきそうになるくらい、今の私の精神状態は悪いらしい。

慌てて考えを巡らせる。
なぜこういうときに限って……嫌なことを思い出した。
昔初恋の人に、遅刻したお詫びにと、食事をご馳走しようと思ったことがあった。
すると、レジの目の前で「いい!自分で払うから!」と頑なに拒絶された。
少しの押し問答の末、結局別々に支払いをした。
店員さんの困った表情が脳内にこびりついて離れない。
私は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなった。

そのときと同じような感覚だと思った。
「そんなに頑なに拒絶しなくとも……」と私は思ってしまう。
頑なに拒絶されると、もの凄く恥ずかしさを感じるのは、純粋な優しさではなく、私の見栄だからなのだろう。
けれども、その程度の見栄くらい張らせてくれてもいいじゃないか……と思ってしまう。
わがままだろうか。
もしかしたら私に座ってほしいと強く強く願っていたのかもしれない……私にお金の借りを作りたくないと思ったのかもしれない……相手なりの考えがあって拒絶したことを、頭では理解できても、感情が追いつかない。

姉もそうだ。
モラハラされて悩んでいると相談されたから、いろいろな情報をわたした。
困ってる状態の人に、いろんな情報を与えても意味がないのかもしれない。
実際、そうして逆ギレされたこともある。
だから極力情報過多になりすぎないように、なるべく相手の気持ちに寄り添えるように……と意識してはいるものの、つい家族だと熱が入ってしまうのは悪い癖。
そうして「正直ちょっと迷惑だった」と言われた。
「じゃあ私になんて相談するなよ!」と叫びたくなる。

自分の考える親切は、そんなにもお節介なのだろうか……と、自信がなくなる。
そのくせ、甘えたいときには甘えてくる。
なぜ私は、いつも都合の良い人間になってしまうのだろうかと、つくづく思う。
まあ、これもネガティブになってるから思うことだと知ってるけど。
普段は思わないことだ。
ネガティブって恐ろしい。

こういう経験があるから、私は、人から「買ってあげるよ」「奢るよ」と言われたら「いいの?」と一度は確認するものの、その都度少し大げさなくらいに喜んでみせる。
相手が優しさを見せたときは、それに身を任せるのも、相手への愛情だと思う。
そうすれば相手も「喜んでくれて良かった、やって良かった」と自己肯定感も上がるだろう。
毎回毎回奢られるようなら、さすがに断ったり奢り返したりもするけれど、1回2回の話ならそのまま奢られたほうが自然だ。

あのときは本当に恥ずかしかったなあ。
今思い出しても恥ずかしい。
恥ずかしすぎて自分の顔をぶん殴りたくなる。
そうして、どんどん、どんどん、「親切なんかしないほうがマシだ」という思考に陥っていく。
まあ、しばらくすれば回復するんだけど。

捨てる神あれば拾う神あり。
こういうときは、ただひたすらに褒めてもらえたことを思い出すに限る。
考えてみれば、毒親問題の渦中にいたときも、私は少ないながらも褒められたことを何度も思い出して救われてきた。
美術の先生に褒められたことは、たぶん一番思い出してる回数が多い。
中学のときの先輩に「面白い」って言ってもらえたことも。
大人になってからは、褒められることも増えて、私はどんどん強くなった。
人から褒められるって、それだけで心の盾になるんだ。
だから私は良いところを見つけたら、積極的に褒めていきたい。
誰かの心の盾になりたいと、よく思う。

イエスマンばかりをまわりに置くのも良くないんだろうから、ピシャッと言ってくれる人も必要なんだとは思うけどね。
弱ってるときは、優しくしてもらうに限る。

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