『ガールズバンドクライ』主人公・仁菜の「間違ってない」を振り返る
物語のキャラクターが本当はどんな人物なのか? それを示すのはキャラクターの発言や主張ではなくアクションである。『ガールズバンドクライ』の主人公・仁菜はこの物語で「間違ってない」と繰り返し主張してきたが、それにはどんなアクションが伴っていたのか? それとも伴っていなかったのか?
仁菜の価値観を図式化する
ストーリーテリングに関する書籍を何冊か読んで以降、物語の構造を読み解く試みが面白くて仕方ない。『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』に出てくるフレームワークで仁菜の「間違ってない」の価値観を図式化すると次のようになるだろう。
仁菜にとって「間違ってない」がプラスの価値観で、対極は文字通りの「間違っている」。そして、間違ってないことと同時に成立してしまう「正しくない」が相反の価値観となっている。
高校在学中の仁菜はいじめにあっている同級生を救うために行動した。その結果、今度は自分がいじめられる立場となり、退学に追い込まれた。
仁菜自身は自分の行動は間違ってないと強く信じているが、同時に「正しくなかったかもしれない」という疑問も抱えている。
この思いが上京(実は川崎)した後の行動に伴う葛藤になっている。例えば、学校でのいじめ被害~退学によるトラウマのため、同世代のすばると上手く接することができない。そんな自分を情けなく感じて涙し、もらったばかりのライトを振り回し、通りすがりのサラリーマンに八つ当たりするのだ。
参考文献の『ストーリー』によると、物語を駆動するには対極の価値観だけでは不十分で、マイナス中のマイナスの価値観をキャラクターにぶつける必要がある。仁菜にとっては下図のようになるだろう。
言葉遊びのようだが、仁菜にとってマイナス中のマイナスの価値観は「正しい」だ。ただし、これは大人の判断という意味での正しさだ。つまり、
いじめの原因が自分にもあったことにして相手に謝罪する
形だけで心のこもらない相手の謝罪を受け入れて和解する
大人しく高校生活を続けて、大学への推薦状をもらう
無事に高校を卒業して大学生になる
これが大人の判断による正しい行動だ。しかし、仁菜はこれを拒否した。ダイダス時代の桃香が作った詩に背中を押されたからだ。
『空の箱』の重要性
以上のように考えると、あらためて作中曲『空の箱』の重要性が再浮上する。この詩が当時の仁菜の心にどれほど刺さったのか。彼女をどれほど勇気づけたのか。
大人が出す答えなんて形だけの常識
そんな正しさに価値なんてない、そんなの本当の正解じゃない
私は負けてない。私は私として生きていく!
「空の箱」はまさしく当時の仁菜の心境に合致した歌詞だが、忘れてならないのは、この曲を作ったのはダイダスでメジャーデビューを目指していた頃の桃香だってことだ。
この歌詞は桃香の心情を表現したものなのだ。それが仁菜に響いた。この重層性が物語に深みを与えている。
小説やマンガなら「作中に何だかいい感じの曲があったんです」で済むのだが、映像作品で表現するため、かつビジネスモデルに楽曲販売やバンド活動を含めるために、リアル世界へ実際にいい感じの曲をリリースしなければならない。
しかもそれが物語を駆動する重要なパーツになっている。これを実現した関係者の努力には驚嘆するし、結果として生み出されたこの曲は本当に名曲だと思う。
そして物語の仁菜はこの曲に背中を押されてアクションを起こした。学校を退学する決断を下し、手続きを取り、上京(実は川崎)して一人暮らしを始め、予備校に通い、勉強をして大学合格を目指し始めたのだ。
『ガールズバンドクライ』の第1話に至る背景と、物語序盤で仁菜が起こした主なアクションは以上の通りだが、もっとも重要なアクションだったのは、音楽活動をあきらめて帰郷する桃香を引き留めたことだ。
私は間違ってない
私を勇気づけてくれた桃香さんの歌は間違ってない
だから、桃香さんは間違ってない
そうなのだ。桃香を引き留めたこのアクション以降、仁菜の「私は間違ってない」は「桃香さんは間違ってない」にすり替わっていく。
仁菜のアクションを振り返る
物語の第2話以降、仁菜の「私は間違ってない」は影を潜め、関心は桃香のに集中していく。そしてターニングポイントとなった第8話で仁菜は桃香を説得し、桃香は
「私が間違ってなかったことを仁菜と一緒に証明する!」
と決意するのだが、仁菜自身の「私は間違ってない」は置き去りになったままだ。
これが徐々に仁菜自身の事柄へ戻っていく転機が第10話。この回はファンの間では評価が分かれていて、安易に父親と和解した仁菜を飽き足りない、ロックじゃないという意見も多い。
しかし、上述したように、仁菜の「間違ってない」価値観の中でマイナス中のマイナスの状態について、ある種の決着をつけるのがこの第10話の目的だったとすれば納得できる。
つまり、大人の正しい判断として、いじめ加害者に妥協すること、学校都合の勝手な言い分を認めること、大人しく卒業して大学へ入ることなど、父や姉が想定していた大人の常識を仁菜はけっして受け入れられなかった。それを家族に真に理解してもらうことができたことが仁菜にとっての何よりの成果なのだ。
こうしてみると、仁菜の「私は間違ってない」を示すアクションは物語最終盤の対バンについての決断に尽きることが分かる。これは下記エントリーで既に述べた通りだが、
私は間違ってない。間違っているのはヒナであり、ダイダスの提案は絶対に受け入れられない
今の私には仲間がいて、負けるとわかっていても戦うことができる。そして負けたとしても、私たちの心はけっして折れない
ということなのだ。詳しくは上記のエントリーを読んでほしい。そして、みなさんの意見を聞かせてほしい。
以上振り返ったとおり、『ガールズバンドクライ』の中で仁菜の「私は間違ってない」は最初から最後まで一切ブレてない。仁菜は自分の信念を貫き通している。
そして、その信念の貫き通す支えとなる仲間との絆が仁菜にとって何よりの宝物であることをこの物語は描き出した。本当に素晴らしい物語だったと心から思う。
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