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曲がり角をまがった先には、きっといいことがある...子どもの頃の夢を叶える時は今(2024)

こんにちは!昨日からnoteを書き始めて、読んでくださった方からDMをいただいたり、「スキ」やフォローで応援の気持ちをいただき、ほんとうにうれしいです!

地球🌏は「行動」の星だから、行動しないとほんとうに勿体ないです。

モモの実験日誌 2024/1/22より

魂友 Kさんから、昨日の記事に書いたこの言葉が「宇宙人からのメッセージみたい!」とDM✉️をいただいて笑いました。(いやいや宇宙人はKさんです…)
わたしの宇宙人味?、ある種のヲタク性?を2024年は躊躇せずに表現していこうと思います。

さて!  今日の記事のテーマはズバリ、子どもの頃の夢。そして、子どもの頃の夢を叶えるときは2024年しかないのではないか?というお話です。

2024年をどう生きる? 考えるきっかけをもらった1本の動画

子どもの頃の夢を思い出す……そのきっかけとなったのは、年末に出合った1本の動画でした。年末に実家に帰ったとき、母がお節を作りながらこの動画を観ていたんですね。

わたしは、2023年の11月ごろから、2025年7月問題 についてよく耳にするようになりました。昨今の世界情勢、年始に起きた震災、これから確実に起きるであろう経済の変化を見据えても、2024年をどう生きるか が本当に重要になってくる。2024年、2025年にどんな未来を迎えようとも、後悔をしない生き方がしたい……そんな風に考えている時に、ヒントになったのがこの動画です。(ひすいこたろうさんが素晴らしいと思うところは、恐怖を煽るような言い方は決してされないところです。)

この動画のテーマである「いま一番集中すべき1点は何か?」という問いを自分に立てた時、ずっと封印していた子どもの頃の夢を思い出すことにつながっていきました。


コンプレックスを抱えていた子ども時代

子どもの頃のわたしは、とても感受性が強くて、繊細な子どもでした。また、生まれつき、右頬の下の方に赤あざがあり、そのことがずっとコンプレックスでした。例えば、誰かに「可愛いね」と言われても、(赤あざがあるから)その言葉を素直に受け取れないし、赤あざのことをからかわれても、「悲しかった。悔しかった」と自分の気持ちを親に話すことができませんでした。いつも平気なフリをしてクールに装い、心の中では、悲しみも葛藤もいっぱいあったけれど、大きくなったらきれいになるんだ!見返してやるんだ!という目標を幼心に誓ったのでした。(インナーチャイルドの傷やコンプレックスをどう乗り越えてきたかを書こうとすると長くなるので、今回はサラッとこの程度にとどめておきます。)

そんなわたしが子ども(小学生)の頃、夢中になって読んでいたのが、『赤毛のアン』(L・M・モンゴメリ=著、松本侑子=訳、集英社=刊)でした。

小学生の頃の愛読書『赤毛のアン』

主人公のアンは、コンプレックスである赤毛をからかわれても、屈することなく、怒りを爆発させる。自分の尊厳は自分で守る。夢見がちでドジもたくさんするけれど、失敗の中で学び、勉学に励み、内面的にも外見的にもうつしく成長していくアンの姿は当時の自分の憧れでした。

わたしはコンプレックスを抱えながら、学校がつまらないなと感じながらも、不良や不登校児になるような気骨や勇気は持ち合わせておらず、成績はそこそこの優等生(授業中に居眠りするけれど)みたいな子どもでした。学校には居場所がなかった子ども時代の1番のたのしみは、家に帰って、読書をすること。自分の安心できる場所、憧れの世界、理想の世界はいつも本の中にありました。

小学校の卒業式で宣言した自分の夢

そんな葛藤だらけの子ども時代だったけれど、小学校の卒業式将来の夢を宣言させられたんですね。わたしは記憶力が決して良くなく、ほとんどのことを忘れているのですが、卒業式に全校生徒の前で自分の夢を宣言する瞬間だけは、なぜかずっと心の奥底に記憶として残っていました。

「 この道の曲がり角をまがった先にはきっといいことがある…… 」

『赤毛のアン』の一節を引用して、作家か物書きになりたいと宣言した。恥ずかしがらず、誰の目も気にせず、純粋に自分のやりたいことを宣言したあの頃のわたし。細かい部分は覚えていないけれど、この言葉を引用したこと、何かを書きたいと宣言したことだけは、ずっと記憶の片隅にありました。

あの頃のことを思い出して、20数年ぶりに!『赤毛のアン』を読み返しました。原文を読み直すと、自分の記憶にある言葉とは微妙に違ったけれど、アンから受け取ったメッセージが、自分に影響を与えていたことは間違いありませんでした。

ーー 私はここで生きることに最善を尽くすわ。そうすれば、きっと、いつか自分に返ってくると思うの。クイーン学院を出た時は、私の未来は、まっすぐな一本道のようにどこまでのびていたの。人生の節目節目となるような出来事も、道に沿って一里塚のように見わたせたわ。でも、今、その道は曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに、何があるか分からないけど、きっとすばらしい世界があるって信じているわ。

『赤毛のアン』-第38章 道の曲がり角(L・M・モンゴメリ=著、松本侑子=訳、集英社=刊)


曲がり角の先に広がる景色

小学校を卒業すると、わたしは物書きになりたい夢や物語好きな少女性をすっかり封印し、中学→高校→大学と進学し、大学卒業後は就職という一本道をたどります。(小学校卒業後も学校は相変わらずたのしい場所ではなく、葛藤だらけでした。)

わたしの場合は、社会人になってからが「曲がり角」の連続で、名古屋で会社員(6年)→直島で美術館の職員(半年)→フリーターをしながらお試し移住(3か月)→嘱託職員(公務員)(8か月)→まちづくりのNPO職員(3年)→出版社のスタッフ(3年)……というように、自分の心の声に従って、仕事も暮らしも変えてきました。(今は自分が愛用している靴の専門店にご縁をいただき、お仕事をさせていただいています。)

アンの言葉通り、「曲がり角」の先には、いつもあたしい景色が広がっていて想像以上の出合いが待っていた。青春時代は鬱屈としていたけれど、その体験も含めてオールOKだったね、とあの頃の自分に言ってあげたいです。


タイムラインを変えるかもしれない

子どもの頃の夢を思い出したら、今(2024)こそ、幼い頃の自分との約束を果たす時なんだ、という確信のような決意のようなものが生まれました。これから、どんな未来を迎えようとも、後悔しない生き方がしたい。そして、誰もが、子どもの頃の夢を思い出すような生き方ができたら、タイムラインも変わるかもしれない。そんな思いが自分の中で芽生えたから、noteという場で表現をすることにしました。

みなさんの子どもの頃の夢は何でしたか?

卒業文集が残っている人はぜひ、探してみてほしいです。卒業文集がなかったとしたら、子どもの頃、好きだった物語やアニメや漫画を思い出してみると、何かきっと発見があるはず。

子どもの頃の夢 、純粋性には不思議な力があって、その人の人生のテーマが隠れていることが多いです。(占いの悩み2トップは、「仕事」「恋愛」と聞いたことがありますが、占い師に聞かずとも自分でヒントを探せます。)

もし、子どもの頃の夢、全然叶えていないわ!と言う方がいたら、その夢に向き合う時は今(2024年)なのかもしれません。「いま一番集中すべき1点は何か?」という ひすいこたろうさん の動画もぜひ、観てみてほしいです。

そうそう! 子どもの頃の夢を思い出した時に、そういえば!と思って久しぶりに読み返した本があります。いや〜〜〜面白いっ!!!長くなりそうなので、続きはまた次回に!

『超常戦士ケルマデック 新世界に目覚めよ!超時空大作戦』(ケルマデック=著、マキノ出版=刊)




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