訃報について思うこと

昨日夜、芸能人の訃報が入り眠れなかった。
こうした事件が起きてから声を上げることも、彼(彼女)への執拗なバッシングに違和感を覚えていたのにも関わらず、直接/間接的なアクションは何もできずに傍観してしまっていたこと。悔やんでも悔やみきれない。それらを承知の上で、今私が思ったことを書こうと思います。
「誹謗中傷を辞めよう」なんて絵空事言うつもりはない。そんなことは何年も前から言われているから。

居ても立っても居られないので、今私が思うことを少し吐露させてください。
まとまらない文ですがご了承ください。


法は抑止力になっているか?

去年の10月にプロバイダ責任制限法の一部改正が行われた。私もYouTuberとして活動しているので、誹謗中傷には身近な立場です。
なので、この法改正には興味を持ち一応チェックしていた。端的に開示請求のステップが前よりも容易になったということです。

ですが、それが抑止力になることはなく、彼(彼女)はこの世を去った。
急激に普及したネットというものは、普及して便利になったことはいいものの、まだまだ法整備や教育などなど。不完全で歪な存在だと思う。

去年の法改正を皮切りに、これからもっと法整備されるのだろう…と、期待はしているのだけども、明日明後日、1ヶ月後は?現状はまだまだ不十分ですよね。
悲しい事件はきっとこれからも起きてしまうと思います。

そしてその法を擦り抜けるような、より陰湿なヘイトを送るミームもできてしまっている。具体例は上げないが、法に触れない(可能性が高い)人を傷つける手段がこんなにも世に溢れてしまっている。
今ネット空間は異常だし、地獄だと思う。

さて個人的な話をします。
私も一時期すごく叩かれていたことがありました。
体型など容姿に関する批判がほぼ毎日来ていたことがあります。
その時実際に弁護士に相談し、開示請求を行おうと試みたこともありました。だけど、しなかった。
私にとっての救いは、開示請求で弁護士を介し示談することでも、数万〜数十万の示談金をもらうことでもなくて…というかそんな労力を使える余裕すら削られていた。そもそも、そんなんじゃ傷は癒えない。

もちろん、そういった手段はできる人はやった方がいい。
でも多分、本当に傷ついて心が消耗している人は、そんなことじゃ救われないだろうな。そしてそんな余力もない。

何が言いたいかというと、「誹謗中傷辛いなら開示請求しなよ!やり返してやれ!」なんて単純な話ではないということです。
そして、訴訟のしやすい誹謗中傷、例えば「〇〇(固有名詞)しね/キモい」などと、訴訟のしにくい誹謗中傷というものも存在する。
開示請求で法的に裁ける、訴訟のしやすい誹謗中傷だけが、本人を追い込んでいるのではなくて、実際はもっともっと巧妙で陰湿な、訴訟対象外の誹謗中傷の方が数が多いし、何倍も何倍も傷つくのだと思う。
正当な批判をしているという面で、利害関係のない有名人を叩く人たち…。
そんなことを言わないと気が済まないの?

この傷は、仕方がないことか?
自己責任か?有名税か?
全くそんな話ではないですよね。

私は「スルースキル」ていう言葉が大嫌いなんですが、それは勝ち残った活動者が身につけた結果に過ぎなくて、それを身につけらなかった人はメンタルを病み、終いには「努力不足だ」なんて言われることを正当化する言葉です。

メンタル疾患は立派な病気ですよね。
努力とやらで防げるなら、こんなにも思い悩む人はいないと思います。なのでこの言葉にはすごく強い「自己責任論」が内包されてると感じます。

完璧で平和なネット空間になるように、法整備を待つのも自由だと思う。
でも「今」この瞬間、私たちができることは?
このまま傍観してていいのだろうか?

だから私はこうやって発信するし、少しでも多くの人がこの問題に向き合うきっかけを作りたい。

そして、執拗なヘイトは何の意味もない愚行である、という共通認識を広めて行かないといけない。

法は抑止力になるのは間違いないのだけど、それは完全なものではなく、常に私たちを守ってくれる訳ではない。
そのこぼれ落ちる人はあなただったら?あなたの大切な人だったら?
というか、そんな言い換えしなくてもわかってるでしょう。
そんな人を1人でも産み出したくないです。


自由に生きる権利を行使する人と、そんな権利を忘れた人々

人は自由に生きる権利がある。
中学生の頃みんな必ず習っただろう人権。
今、この人権でさえも蔑ろにされてる風潮があると思う。

まず大前提に、
「社会や家庭における自分の生産性≠自分の価値」なのです。
たくさん稼いでるとか、フォロワーが多いとか、人の役に立ってるとかそんなん関係なく、人には絶対人権がある。
社会や家庭においての評価や役割、属性などはあくまでその人の一面にすぎなくて、それらに関わらず、どんな人でも平等に生きる権利がある。

人権は、条件付きで獲得できるものではなく、生まれた瞬間からずっとあるもの。どんな命も平等に尊いものです。

SNSのいいね数やフォロワーが可視化される時代だからか?こんな基本的なことを忘れてしまってる人が多いと思う。

法を破らない範囲で、自由に自己表現をすることは全く悪いことではないし、
仮にそれを受け入れられない/理解できないのだとしても、他人がそれを勝手にジャッジし、本人に見える形で伝える必要はない。それは立派なヘイトであって、愚行です。

有名人が見せてる一部分だけを切り取って、勝手にあーだこーだ言い、人格否定するのは間違っている。
多様性が叫ばれる時代なのに、結局は、
マジョリティの承認の上、マイノリティが存在してもいい」とされる風潮にも心底納得がいかない。

人はそれぞれ自由に生きていいし、自由に生きなくてもいい。
あなたが「意味がない/理解できない」と感じることも、誰かにとってはすごく大切な選択肢だったりする。
そこにあなたの承認も、当事者がいちいちそれを事細かに説明する義務もない。
世の中に、自分が理解できること“だけ”が存在している、なんてはずがないのです。

わからなくても、「これは誰かの選択肢なんだろうな」と温かい目で見て、互いに尊重し、歪んだ正義を振りかざす我慢をしないといけないと思う。
また、マイノリティを否定するために極論を持ち出し、マジョリティの賞賛を集めるミームもできつつあり、なんかほんとに…大丈夫なのだろうか?

ヘイトを送る人たちは、何かしらに抑圧されていたり、視野が狭く視点が不足している場合がほとんどだと思う。

あなたが冷たい眼差しを向ける人は、果たして本当にあなたを脅かす存在なのか?きっとそうとは限らない。バズ目的で生み出されただけの極論に怯えてるだけな気がする。

仲間内に敵意を向けている場合じゃない。
出る杭打ってる場合じゃない。

その抑圧が生み出される構造はきっと社会にある。一個人だけが悪いなんてことは絶対にない。
その先陣を切った人が、この世を去るなんて。あまりにも悲しすぎる。
理想を語ってくれる人は、今の世の中にもっともっと必要だと思う。
冷笑ムーブには私は絶対乗りません。それは何も生み出さないなんの意味もないことだと思うから。


急遽書いた文でいろいろ乱れているかもです。
読んでくれてありがとうございます。
亡くなった方へのセンチメンタルな話は、周りの人たちがしてくれるだろうけども、私は昨日泣いてしまったよ。

そして、こういう記事にアクセスしてくれる方々は、もともとリテラシーが高い人で、
もっと届くべき人には届かないという構造にも絶望してる。どうしたらいいのか?待ってて本当に報われるのかな。

せめて、共感していただけたら♡押してもらえると嬉しいです。


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