節目

今年50歳になった。
同級生に聞いてまわった。
「ねぇねぇ、節目の記念に何か買った?」
10人くらいには聞いたと思う。みんな答えは「ノー」だった。

私は、50歳になる2年くらい前から節目の記念にエルメスのカレジュアンを買おうと決めていた。でも、エルメスの実店舗の敷居があまりに高く、結局、買えずじまいだ。

なぜ、こんなにも節目にこだわるのか、自分でも分からなかった。でも、今日の日経新聞の文化欄で芥川賞作家の青山七恵さんの記事を読んで腹に落ちた。

それはこんな内容だった。

大学卒業後、結婚も出産も経験せずに生きているのは、節のないタケノコのようだ。


節のないタケノコ。いい得て妙だ。

聞いた同級生は、結婚して子どもがいる人のほうが多い。いまや、その状況を羨ましいとは思わない。
でも、子どもの入学や、家を建てるときの地鎮祭など、節目があることは羨ましい。その度に、気分も新たに頑張ろうと思えるのではないか。

いやいや、頑張ろうと思いたいだけなら、節目は必要?
タケノコには節が必要だけど、人生の節って何だろう。

分からなくなってきた。

50にして天命を知る

せっかく、半世紀を無事に、そして幸いにも幸せに生きてこられた。
自分のあと半分の人生は、何のためにあるのかを考える1年にしようと思った。
振り返ったとき、もしかしたらこの時間が節目になっているかもしれない。

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