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街は劇場

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日々すれ違う名も知らぬ皆にツッコんだりグッときたり
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#舞台

リング プロレス者とは、プロレス者のススメ

先月だったか先々月だったかは忘れたが、 プロレスの地方会場でのビッグマッチを配信で観ていたときのこと。 とある試合でずっと叫んでいる子供が居た。 「●●―!」「がんばれー!」 甲高い声で必死に応援の声をあげている。試合中ずっと。 声援を向けられているのは、悪役レスラーで、 彼がシングルマッチで闘っているのは、目下、団体が売り出し中(?)のイケメンだった。 ワルな彼は無法ファイトでめちゃくちゃやっている。 一方、相手の彼は毎回客席から登場し、 お子様客を見つけるとリストバンドな

からだ 年明けのプロレスビッグマッチに人間を想う

身体。肉体。からだ。 1.2と1.4が終わった。 プロレスリングNOAHと新日本プロレスの年明けビッグマッチだ。 現地では観ていない。配信を観た。 前者は身内というか親戚の寄り合いというかごちゃごちゃ的なものから逃げれないのに逃げ切って観て、後者は仕事をしながら観た。 どちらにも特にめっちゃ好きな選手がいるかと言われたらそうではない。 どちらにも団体や会社へ思うところがありまくるというか、でも、観る。ツッコんだり怒ったりしながら観る。 例によって詳しいことは書かない、

秋味 あの歌い手とおやじたちはわたしたち

陽が落ち薄暗くなった境内、 祭り提灯がぼんやりと照る中、 特設ステージで歌う彼女は見たことも聞いたこともないひとだった。 電柱に無造作に吊られている音響は拡声器の延長みたいな簡素を通り越したもので歌声は分散され、声が割れてしまう。 そんなステージに現れた彼女は、よく言えば清純派なワンピース、わるく言えばお金のかかっていなさすぎる衣装に身を包んで次次に昭和歌謡を披露する。 近所のローソンで買ってきたビールを呑み呑みの大人たちや 祭り屋台のこてこてソース味やべったべたシロップかき

舞台とリングと、人間と 『教養としてのプロレス』のこととか

突然ですが、 わたしはなにかを「絶対にそう」「絶対にこう」とかすること言うことがあまり好きではありません。 たいへんにこわいことであり危険なことではないかなと常々思っています。思うようにしています。 そういった風潮や群れることはなんだかどこか「こわいなぁ」となります。 例えば「なにかが絶対に悪」とか。 みんなが言っているから悪とか、 みんなで言ってみんなで悪にしちゃうってこともとても多くない? だから、どちらか一方に肩入れをし過ぎてしまうことはとても危険じゃないかなぁ

まっすぐ それぞれの『青春の影』

チューリップの『虹とスニーカーの頃』を聴いた時はぶったまげた。 初めて聴いたのは若い頃、ワルい年上の友人たちとの徹夜カラオケだった。 だいぶ年上の「職業・芸者」の姐御が明け方頃に踊りながら歌った。 「この歌……すごい歌詞やね」 「え、そんなん思ったことないわ、でもそう言われてみたらヤバいな(笑)」 「ヤバすぎる、歌い出しから、しかも何度もそのフレーズ出てくるし」 「そういう時代だったのよね、おい和夫(笑)」 先日NHK「のど自慢」のトリとして登場した方の歌を聴いて数日して思い

繁華街の駅のUFOキャッチャーで劇場みたいなシーンに出会った

GW、夜遅く、 繁華街の駅のコンコース内にあるUFOキャッチャーでいい風景に出会った。 ちいかわだったのです、 ちいかわがGetできるかも?! な台だった。 欲しいなあ、いいなあ、と思っていたのはわたしだけじゃなかったみたいで、わらわらと人が群がっていた。 そんなギャラリー多数の中、クレーンを操作していたのは、中年の、 いや、中年というのもちょっと失礼かな、でも若くはない女性。 その駅は正直治安がいいとは言えない繁華街の駅。 わらわらと群がっていたのもギャルとか

上を向ぅいて

母方の祖母は歌が好きだ。 通っているデイサービスの催しものの中でも 月1のカラオケの日を心待ちにして稽古をしている。 長年昭和歌謡番組を担当してきたといういけすかねぇ孫が、 週に何度かの訪問の際に面白がってスマホのYouTubeから大音量で動画を観せたことが、いけなかった。 「今時はそんなケータイから音が出るのんか」 「せやねん。携帯から音出るし観れるねんで」 延々リビートさせる。耳元に置かせ大音量の中よろりよろりと歌う。 歌詞を紙にデカい字で書いて渡せと言う。 「なんやこれ

演歌とソウルと峠の話

演歌の歌詞の大半は「アウト!」だと思っている。 笑えんけど笑えたり、笑わなしゃあないレベルで笑ったりする。笑えない。 例えば、ちびまる子ちゃんが歌うことでもお馴染み、 殿様キングスの『なみだの操』、あれ、あかんやろ。 おっさんが歌うからよりキモいと思ってしまうのかもしれない(失礼) 似た系統の「塩辛声のおっさんが歌う古い女(男にとっての都合のエエ女)の歌」といえば宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』もある。っていうか、こっちが先。 この歌は旅芝居界でも1,2を争うイケメン

のど自慢はピアノ・マン

日曜昼にのど自慢で聴く『ピアノ・マン』はなんだかよかった。 のど自慢がのどじまんになった。 ロゴだけじゃない。司会者も代わり鐘のおじさんも代わり、生バンドもなくなった。 新年度から司会者が変わることはニュースで知ってたし、 鐘の名物おじさんが居なくなることは3月最後の放送の発表で知らされた。 でも生バンドがなくなることは知らず昨日番組が始まる直前に知人から聞く。 え、ないの。カラオケになるの。それはどうなの。 ちょっと検索したら同じ戸惑いを持っている人は少なくないみた

空気の衣

世の中のほとんどのことは嘘だと思う。   特に金銭のやりとりが発生する場や間柄である場合はそうであることが多いことない?  嘘じゃないけれど嘘、が、言葉としては近いかなぁ?  でもね。 その瞬間瞬間、一瞬一瞬は「ほんとう」なのだと、とても、わたしは思う。 ほんとうとなるし、ほんとうに、ほんとうなのだ、って。 さらに、その嘘とほんとうの重なりと積み重なりは限りなくほんとうとなる。 ほんとうに。 だから人間はかなしく怖く、とても愛しく、とてもとてもうつくしいな、

桜のいろは

夜、出先で凄艶さすら感じる桜をみまして、 ふと思い出したのは桜守、16代目佐野藤右衛門さんのことです。 遡ったら、12年前(笑)のBlogに書いていたっ。 藤右衛門さん曰く…… 「桜の花が一番きれいに見えるのは朝日が昇るころ」 これはいわば「しっとりした素顔」、 「午前10時から午後3時あたりは疲れてちょっと肩を落とす時間帯」 夜になると、花は「さぁ化粧でもして出かけよか」と元気を取り戻すらしい。 だからそこをライトアップによって盛り上げるんだと。 桜は下向いて咲くから

じゃがりこと酒とあの空気、デスティーノと、ケンカキックからのSTF

武藤敬司の引退興行は知らないおっちゃんとの記憶と共に刻まれました。 「引退興行、観たことないでしょ。観てほしいんですよ」 「いや、いや、アベマとかで観ます。もったいないです」 ずっと渋っていたのだが、 わたしにプロレスを薦めてくれた人、 つまり若き日に武藤さんやあの世代のレスラーとも親交のあった元プロレス記者氏は強引だった。 「あなたはあの雰囲気を観ておくべきです!」 押し切るようにチケットを下さったので2月21日の東京ドームの引退試合を観に行くことになった。 開場前

舞台だからこそ/のど自慢に泣く、やっぱりこの世は皆の舞台

ひさしぶりに日曜昼にNHKのど自慢を観た。 観たらやっぱり涙腺に来た。 なんだほんとに全くもぉ。 仕事しながら横目で観ていた。 音だけ聞いていてもツッコミどころしかない。 情報量が半端ない。 気付けば「ナナメ」な観方が「マジ」になる。 今日の「思わず(横目から正面なって)観た」きっかけは 福山雅治の『HELLO』を歌ったニーサンだった。 「両親を驚かせたくて出場」「ウォーキングしながら歌っています」 何それ選曲その蠢き。恋が走り出したら君が止まらない。 続いてはドリカ

プロレス好きにも知らない人にも届けたい連載エッセイを書きました

ウェブマガジンtabistoryでの連載エッセイ「Home」最新話、 Twitterとnoteのつぶやきでアップしたところ、 早速お読みいただき、 noteに熱い嬉しいコメントを下さったりも、ありがとうございます。 ツイッターやインスタ、過去Blog、と、あれこれ書き散らしたので、 (SNSが苦手だからいろいろやるようにしています悩みながら(笑)) 今回noteでの紹介にはそれらを貼り付け、まとめておくことにします。 手抜きじゃないですよ! さすがにクドいやんなあTL荒らし