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父性の話

ぼくには、1歳3ヶ月の娘がいる。
その娘が産まれる前から、奥さんや周囲の人から父性はいつ芽生えるのか、という話をしていた。
母性はきっと多くのお母さんに芽生えやすいものなのだろう。妊娠中から赤ちゃんの主張のような悪阻を感じ、やがて大きくなるにつれて胎動を感じ、若干の差異はあるものの苦痛を伴って我が子を出産する。
出産後も多くの時間を過ごすのはお母さんに違いない。
では、父性は?
そもそも父性とは何なのか。

父性(ふせい)とは、子育てにおいて、父親に期待される資質のこと。 子供を社会化していくように作動する能力と機能である。 母性とは異なる質の能力と機能とをいうことが多い。by Wikipedia

よくわからんが、簡単に言ってしまえば、父親としての自覚なのだろう。これから父親として、自分の持ちうる手段を講じて子供を育てて行く自覚。
父親は子供が産まれることや育てることに対する実感が母親よりも薄い。それは前述したような実感が少ないからだろう。
そして、それを責め立てられることもあるだろう。
“あなたには父性がないの?”とか。似たようなことなら、ぼくもある。

父性は突然芽生えるものではない、とぼく思う。
母親でさえも十月十日、子供をお腹に宿して痛みを通じて母性が芽生えるのに、父親がそんな簡単に「父性が舞い降りた!」なんて話は都合が良すぎる。
子供との時間を過ごして、はじめて自分の子供だと認識して、育てる自覚が芽生える。
勤め先の人が言う父性が芽生え始めるタイミングの“自分に顔が似てきたら”“自分をパパと呼んでくれはじめたときから”なんてエピソードは、ちょうどそのくらい子供との時間を経ないと、父性はやっぱり芽生えない証拠なのだ。

そんなこんなで、今娘も1歳3ヶ月になり、そろそろ自分にも父性芽生えたのかな…と思っていたついこの間、自分の中の父性の芽生えを感じた。

ぼくら家族は川の字で寝ている。左側の短い棒が子供、真ん中が奥さん、右側の長いのがぼくだ。
夜も更けて0時を数分回った時だ。
ぐらっと地面が揺れ、スマホから「地震です!地震です!」とけたたましいアラームが鳴った。アラームか揺れかどちらが先だったか寝入っていたからわからなかったが、瞬間、ぼくは飛び起きて、布団を蹴散らした。
そしてすぐに奥さんと子供をかばった。
子供の頭は両手で覆った。
反射的な行動だった。コンマ数秒のわずかな時間の間、脊髄から出たぼくの行動は、自分の身を守るものではなく、子供や家族を守る行動だった。
震度4の地震だったことを確認し、被害がないことを確認し、もう一度布団に戻った時、「あ、今自分よりも家族を守ったな」と思った。これが父性なのかも、と。
これが大観衆の前、とかだったら見栄を張るという感情もあったかもしれない。でも、これは無意識下の反射的な行動だったことに意味がある、とぼくは思う。とっさに出てきた行動は、人の根底の感情が現れると思うからだ。

父性は目に見えない。とっさの行動や、日々の何気ない仕草の中にしかなかなか現れない。
でも、世のお父さんお母さんは安心してほしい。子供との時間をしっかり過ごしていれば、確実にぼくらの中には父性が芽生えているし、見える瞬間が日々の中にはちゃんとある。

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