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癒しの先に
足が治ってきて、20代や30代に知らずに病んでいた頃とは比べものにならないほど活発に過ごしている。
スケジュールの割り振りに失敗して週末の午後すっぽり時間が空いたりすると、勿体無いな、〇〇が出来たのに、今からじゃ無理かな〜、何て思ったりする。
人間の中身が大幅に入れ替わったくらい違う。
20代も30代も、週末はほぼ寝たきりで、出来合いのお弁当だけ買いに重い腰をあげて外に出ていた頃と比べると大違いだ。
暗い考えにとらわれて、一日中思い悩んでいた何十年も、心も体もすごく重かった。
猫と過ごしたり読書や料理をする時間などの楽しい時間はあったものの、基本的にはものすごく暗かった。そして疲労感が消えなかった。
道理で20代とか30代の頃に、家族を築くのに大切だった時期にモテないわけだ。モテるとかモテないって顔立ちとかスタイルよりも、その人から滲み出る生命力の強さとかその人独自の魅力が一番大切だと今になって思う。
恋人はいたにはいたけど、真の思いやりとか、親密性とかには程遠い関係だった。
意識の矛先が、恋人との諍いや、仕事の悩みとか、仲違いとか、家族の崩壊とか、貧困とか、ずーっとそんなことを心配して暮らしていたのだから、生きていても楽しくないのは当たり前だった。
なんでも悪く捉えて、些細なことでも心配してクヨクヨした。
心も体も弱っていたので、そうやって自分と自分にとって大切な人たちや動物たちを守っていた、もしくは守ろうとしていたのだろうか。
何か行動に移したい楽しみなこともなくて、生きているのって大変だな〜、これが一体いつまで続くんだろう、なんてボケーっと考えたり。
それが今は、こんなところに行きたい、こんなことがやってみたい、これが食べたい、とかこういうのが好きでこういうのは避けたいとか、色々と自然と出てくるようになった。
自然と出てきているのがポイントだと思う。無理に好きなことを捻り出そうとしても心が弱っているときっと何も出ないと思う。
あと何年くらい元気で生きていられるんだろう、とは今でも思うものの、動物たちと楽しい暮らしが続くのであれば、長生きしたいなとさえ思うようになった。
楽しみとか喜ぶとか好きなことが増えること、そして、生きていることについて重く長く悩んだりせずに、軽やかにその時その時を楽しめること、今のこの感じが幸せなんだな、と思う。
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