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ママは生きにくいから「ママに見えない」を目指していたが、しかし。

妊娠して子供を産むと、びっくりするくらい「ママだから」という枕詞が登場した。それは時に味方になり、敵になり。ママだからもう髪の毛染められないね、ママになったからしばらくは会えないね、ママだから子供をしっかりみないとね、ママだから仕事できないよね、などなど。

ママって生きにくいなぁって思った。

ママの前に我は我ぞと思う葛藤と、私はママだから…に飲み込まれそうになる自分がせめぎ合う。

だから「ママに見えない」を目指したくなる。

「ママだからという固定概念」や「誰かさんの理想のママ像の壁」をぶっ壊す、ひとつの手段になるとわかったから。

そして同時に、あれと似ているなと。数年前、社会で活躍したい女性が「オヤジ女子」や「酒飲み女子」が溢れだした2014年ごろ。

「男みたいな女だから、楽」と思う、思われる、そんな狙いが両者共にあったように思う。男が多い職場で、上司に男が多い企業で働く場合は、その方が効率がいい(と思ったけど、考え過ぎ?)

ママだから、女だから、大人だから、赤ちゃんだから、犬だから、猿だから、キジだから、きび団子だから、桃太郎だから、いや百恵だから、今日も息子とビールを乾杯して食事を楽しみたいと思う。そしてママゆえに制限はあるものの、あまり自分で括り過ぎないでいたいと思う。

ママに見えないを褒め言葉として使われずに、もっと自分らしさを認めてくれる社会を作りたいなぁと、ママに見えないを目指そうとした自分への戒めで書いたのでした。


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