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真っ白なセミダブル

noteやりはじめて9周年らしい。
その間に更新したのは最初のほうだけで、もうここ数年はromる(死語?)こともなくなったな。
でもひさしぶりに文字が打ちたくなったのでPCに向かってみてる。
職場のPCとキーボードが違うからめちゃめちゃ打ちづらくてここまで打つのにかなり時間がかかってるし、ブラインドタッチもぜんぜんできない。
家のPCを使う機会が本当にすくなすぎて、びっくりするくらい動作が重くなるから最近こまめに稼働させてる。やっぱり動かさないとだめね。だってひさしぶりにnote開いたとき、ホームにたどりつくまでかなり時間がかかった。


いまの年齢っぽい悩みや不安をいっちょまえに抱えている今日この頃。
自分の年齢が30歳だとおもって「あ、違うんだった」っていうやつ未だに何度もしちゃう。30を基準にして計算しちゃったりもするし。切ないね。
だからって別に若くいたいとか戻りたいとか30歳の時が最高だったみたいなはない。ただなんとなくなんだろうな。
そりゃ心身を健康に保っていくにあたっては少しでも若いほうがいいんだろうし実際そうなんだけど、でも”初めての心の動き”みたいなのが本当に無理すぎるんだよな。
「この感情しってる」「あの時はこうやってやりすごしたよね」っていうことが自分をとっても安心させることを知っているから、歳を重ねる利点を存分に感じて(得て)いるっていうのはある。

でもいま持っている不安や悩みは、確実にもっと早くから向き合っていればいいことだったのは分かるからそういう点では戻りたいっていうのはあるなあ。
戻れないってわかってるからこそ望んでしまうのかはアレとして。


とっても賢い人類という存在がこの世に誕生してから長い長い月日が過ぎたのに、いまだにタイムスリップができなかったり時を止めることができなかったりワープができなかったりするのを考えると、それらがどれだけ特別な事象であることがわかるというか。
(それについて研究してる人や実験してる人がいるのかは知らんけど。)

あと全然関係ないけど、空飛ぶ車がいつまでもあたりまえでなく理想なままというか特別なことであるの、マジでむずいんですねという感じがする。
昔の映画で絵空事としてかかれていたものがあたりまえになっている世の中で、空飛ぶ車っていつまでもいつまでも”難しい”立ち位置なイメージ。
だからこそロマンがあるんだよねえ。
空を飛ぶ手段としてはやっぱり一位はタケコプターで、二位か三位が空飛ぶ車だなあ。


胃の調子が悪いのに消化のよくない海苔をたべてしまって悶絶している。
「俺はこの先何度同じような過ちを繰り返すのだろう」
という気持ち。これをおもうのだって100回はゆうに超えている。
学ばない人生、学ぼうという気持ちが後悔に対して薄すぎるんだよな…

もうなにが書きたいのかわからなくなってきたけど、なにが書きたいかわかっていた時なんてないのかもな。


ハル/ズボンドズボン

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