ももの木
台湾の小琉球といわれる澎湖諸島(ポンフーしょとう)は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群。 そんな素敵な島で中文語学留学のため数か月滞在中。 澎湖の暮らしを肌で感じながら、漫步Mànbù(ゆったり散歩)生活を綴ります。
~はじめに~ 日本人ならば、二十四節気という言葉を少なからずどこかでは聞いたことがあるでしょう。 もともとは古代中国で作られて、季節の移り変わりをあらわす指標として農業で重宝されてきました。 太陽の運行をもとに、一年を二十四に分けたのか「二十四節気」で、旧正月の暦から始まり立春、雨水、啓蟄…と続く。 そのひとつの節気を更に三つに分けたのが「七十二候」。 四季がある日本で、暦の美しい言葉とともに不思議とその通りに移りゆく自然の変化、 そして芽吹き、育つ旬の食材たち。 薬膳という、いわゆる食べて整うごはんと、 日本のよき季節を感じる、どこにでもあるちいさな日常の物語を一皿ずつ綴ります。
ただの旅じゃない、その少し先へ 日本語では「旅」という言葉も 英語でいうと同じ旅でも 「Trip」「Travel」「Journey」とそれぞれの言い方やニュアンスが違いますよね。 Tripは短い旅を意味していてすぐ帰ってくる旅で、遠足やらビジネスでのちょっとした出張も含まれるようです。 Travelは一般的なまあまあの期間の旅行やイメージ的に遠くに行く感じの時に使われます。 そしてJourneyはもっと長い旅のイメージで旅のプロセスだったり、 長期間に渡る経験などを比
その土地の日常ごはん 台湾はみなさんご存じのように外食文化である。 「うちのお母さんだってあまり家で作らないよ」という家庭も普通。 中学校や高校に通う子供達はパン(饅頭や豆乳)を買って登校して 学校で朝ごはんを食べているようだ。 私が住んでいる宿舎の向かいは高校なので、その様子を毎日目撃している。 この台湾の文化、なんか本当にいいと思う。 朝お母さんが子供のために頑張って朝ごはん作らなくていいし その分「作るエネルギー≒時にはストレス」が軽減される。いいことだ。 日本人は
まずはその街の空気感に触れる 私は生まれてから今まで、幼少の頃を含めると7回くらいは家の事情や学校等で住まいの拠点を変えたことがある。 はじめましての土地は その土地が持つ空気感をつかむまで1.2ヵ月はかかるものである。 人口の密度や車の往来、そしてその界隈の店舗で垣間見る、 お客さんと店員とのやり取りから感じ取れる、 そこに住まう人々の雰囲気だったり。 ここ澎湖は夏の観光地として有名で5月~9月頃まではきっと大賑わいであろう場所であるが、私が訪れた時期は2月上旬である
思い立ったが吉日 今回、以前から私の旧知の友人やら、ごく一部のお客様にはお伝えしていたが、 一昨年あたりから「台湾の島に行って勉強してくる」と、 ざっくりな事しか言っておらずあまり詳細は語っていなかった。 かれこれ3年ほど前から中国語(台湾華語)を学びたく、自分に合った場所を探していた。 毎日検索しまくり、行きついたのは ALC(旧)阿甘語学学校中国語科。 私の家族も実は台湾に正規留学をしていて、コロナで大変な時期の渦中に送り出した経験があるので、普通に語学留学といえど
台湾は日本の九州ほどの大きさの国と言われてますが、 本当にたくさんの見どころのがあり、一周するのは何日もかかりますよね。 台湾の首都、台北市もたくさんの素晴らしい処がありますが、またその付近の地方ものどかで素敵な街がたくさんです。 今回、澎湖島(ポンフー島)に渡る前に会いたい方がいたので宜蘭縣を尋ねました。 コロナ前までは台北市で料理教室を主宰されていた 『郷菜 Shiang Tsai』(前名称:コリアンダークッキングスタジオ) 代表の林 品君さんとは、以前娘と参加した料
台湾は私が来る少し前までは2023年旧暦の新年のお正月で賑わいをみせていた。 その名残りがいたる処にそのままの姿で彩りを放っている。 寧夏夜市で晩ごはんを食べた後、 腹ごなしに迪化街(ディーホアジェ)の方まで歩く。 迪化街は台湾に行くたびに必ずいく場所で、そこは歴史ある古い建物連なった問屋街である。 人気の場所でお茶や乾物、薬草、薬膳素材の宝庫だ。 今回昼間に立ち寄れず夜散歩のみだが、本当に一日中ぶらぶらしたい場所だ。 伝統的な趣きのあるお店はもちろん、新規のおしゃれなお店
足掛け3年以上を経てやっと、やっと台湾に行くことができただけでも涙が出るほど嬉しい。 海外旅行をいつも行ってらした方は、長き冬の季節(コロナ期の出国制限)を耐え忍び、体調を整え きっと同じように背中に羽が生えて飛び立つ方も多いと思う。 2020年のあたりから台湾での語学留学の道はないかと模索していた。 2人の子供をほぼ大人になるまで育てあげ、ささやかに暮らせる程度の個人経営でなんとか(精神的には)上機嫌で暮らせている。 いつも自分は性分的に「学ぶこと」に価値を見出している。
清明 鴻雁北 ~こうがん、かえる~ 十四皿目~ ツバメが訪れる頃、日本で冬を過ごした雁(ガン)が遥か彼方のシベリアへ帰っていく。 次の秋から冬にまた会うまでのしばしのお別れである。 『ふゆみずたんぼ』という言葉を知っているだろうか。 いわゆる冬期湛水水田で、冬の間もその名のとおり田んぼに水を張り、田んぼに生きる原生生物やイトミミズ、渡り鳥など多様な生き物の力を借りて無農薬、無化学肥料で米作りを行う農法である。 生態系の力を使って田んぼの機能を改善し、冬に水を張るこ
清明 玄鳥至 ~つばめ、きたる~ 十三皿目~ 冬の間、温かい地方で過ごしていたツバメ達が海を渡ってやってくる頃。 ツバメ達の飛び交う姿を見始めてきたら農作業もいよいよ本格的に始まります。 日照時間の長さを感知して渡りを開始するため、天候や気温に左右されず 毎年3月〜5月にかけて南方から日本へと渡ってくるツバメは、長い道のりを旅する渡り鳥。 その移動距離は2000〜3000kmにもなるそうですが、飛びながら太陽の位置を目印に方角を把握し、迷うことなく目的地へ向かう事が出
春分 雷乃発声 ~かみなり、すなわちこえをはっす~ 十二皿目~ 春の訪れとともに、春の雷は恵みの雨を呼ぶ兆しで、この時期に鳴る雷を「春雷」という。 雷というと夏のイメージだが、「春雷」は夏の雷と違って比較的ひかえ目で激しさは感じられない自然現象。 『春雷は不作』ということわざがあるが、これは「雹」(ひょう)が関係しているらしい。 主に寒冷前線が通過するときの春雷のことだと思われるが、 寒冷前線が通過するときは雷とともに雹が降ることがある。 雹は農作物を痛めてしまうなど大き
春分 桜始開 ~さくら、はじめてひらく~ 十一皿目~ 全国各地から開花の便りが届くころ。 ぽかぽかと暖かさを感じる日も増え、いよいよ本格的な春の到来。 桜の花が芽吹き、咲き始めるのをこんなにも日本中が待ち焦がれる時期はないであろう。 春は、一気に目に触れる「色」が今までの冬色から彩りをあたえてくれる季節でもある。 日本の美しい色を表現する言葉は、その情景が感じられ想像力を掻きたてられる。 色彩辞典などを調べてみると、伝統的な色を表現する無数の美しい言葉に心躍る。 木
「春分」 雀始巣 ~すずめ、はじめてすくう~ 十皿目~ 春分は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ同じ長さになる頃。 そしてその初候は、かわいい雀たちが枯れ枝を集めて巣作りを始め、家の軒下から時折顔を出しては勤しんでいる姿を見かけて、ほっこりした気持ちになる。 先祖を供養する「春の彼岸」を迎え、 その昔この世は東、あの世は西にあるとされ、彼岸の頃はあの世とこの世が通じやすくなると考えられ、 この世に生きている私たちが数々の煩悩に打ち勝ち、悟りの境地に達す
菜虫化蝶 ~なむし、ちょうとなる~ 九皿目 厳しい冬を越したさなぎが羽化して美しい蝶となって羽ばたいていく頃。 菜虫とは菜の花や大根、蕪などにつく幼虫、青虫のことである。 そして菜虫が蝶になるこの時期は「啓蟄」から「春分」への変遷を意味します。 生活の節目の少し前、4月からの物事の始まりの一歩手前。 田舎道の土手に面した斜面には菜の花の絨毯。 小学生の頃、同級生の友達と菜の花に埋もれて寝転がって遊んだ場所も、大人になった今は車で通りすぎるだけになってしまった。 ふと、
啓蟄 桃始笑 ~もも、はじめてさく~ 八皿目 桃色のぷっくりしたつぼみが膨らみ、桃の花が開き始めるころ。 道端に寝っ転がって日向ぼっこをしている猫を見つけた時。 美味しい炊きたてのごはんを頬張った時。 お母さんの背中ですやすや寝ている赤ちゃんに遭遇した時。 こうして美しい桃の花を愛でた時。 ふわっと自然にこぼれる笑みは、何も言葉を発しなくても思わず溢れでる。 『桃季もの言わざれども下自ずから蹊を成す』 とうりものいわざれども、したおのずからみちをなす 桃やすももは
啓蟄 蟄虫啓戸 ~すごもりのむし、とをひらく~ 七皿目 冬眠していた生き物が春の日差しのもとに出てくる頃。 軽快に土の上に出てきて遊びだすトカゲや、葉っぱにしがみつき顔を出すカエルたち。 間もなくやってくる春に向かって本格的に動き出してきた。 土の中で冬ごもりをしていた様々な虫や生き物たちが地上へと這いだしてくる頃。 蠢いてくる虫たちには関係のないやっかいなもう一つの「春の風物詩」の季節でもある。 そう、あの憎き花粉症。 どうにもこうにも花粉症になると頭がぼーっとしてし
雨水 草木萌動 ~そうもく、めばえいずる~ 六皿目 空気のやわらかさを感じながら、潤った土や草木からかわいい新芽が顔をだし、芽生える頃。 長い冬を纏っていたコートを本格的に脱ぎ捨て、一気に色のついたスプリングコートを身に着け羽を付けたい気分になる。 軽めのコート、スニーカー。 あぜ道を歩けば、たんぽぽが冬のなごりの枯葉の中から顔を出す。 ひとつひとつの芽吹きの気配によろこびが湧いてくる。 子どもの頃に走ったあの土手に行ってみようか。 あの頃は風を切って思いっきり走っ