馬たち _
Twitter より。
時々、最近また始めてみたTwitterに
馬に関わることも書き残している。
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私は、4月から完全に
外でのお仕事を辞めて
実家乗馬クラブで両親からお金を頂きながら
週6、働くことになった。
その大変化ののち、
このnoteにおける馬に関する記事を
しばらく更新していなかったので
Twitterの共有を機に、*
4月からの馬に関する自分自身の考えを
書き残しつつ、頭の中も整理してみよう♪
と思い立ち、noteを開いたのです。^^
馬のことだけを毎日やり始めて4ヶ月目。
" 両親のしていることと 私がしたいことは違う "
そのことを、より自覚させられた時間だった。
具体的に _
私は理学療法士という人間の体の専門家であり、
人間の再建における専門家だと思っている。
そうゆう志しを大人になって持っているし、
産まれた時から馬と一緒で
子供の時から私は、
『馬に自分を好きになってもらいたい』
という思いがあった。
だから自然と、
人間が馬のお世話をすることや乗るということは
必ず、人間と馬の両者にとって
健康を害するものではあってはならない。
( 健康維持・増進するものであること )
それが私の基本原則的なものなのです。
一方で 乗馬クラブという場所は、
乗馬というスポーツを楽しむ場所なのです。
だから両親は、その数十分の騎乗で
『楽しかった』『また来たい』と思ってもらうために
両親はそれぞれなりに、試行錯誤し
毎日毎日、馬と向き合っていた。
乗馬クラブを経営する、ということは
あえて悪めの例え方をすると
人間にとって馬という生き物は
テニスでいうラケットのようなモノ、
お金を稼ぐ道具、
そういう面が 確かに存在するのです。
そして、
残念なことに、また 仕方がないことに、
両親の試行錯誤の中にあってほしい
" 人間の健康と馬の健康 " という視点の
優先度も、解釈の質も
私の感覚からみて とても低いものでした。
数年、悶々とした気持ちで生きてきましたが、
この環境で育った私、つまり
乗馬クラブの娘として育った人間が
そこから反した考えを育ててきたというのは
とても自然なことだと 今思えているのです。
現実的に、現段階では
馬の業界に『馬の死ぬ時の状態をより健康に』
という観点での考え方は、
かなり、かなり、少数派みたいです。
在るのは『いかに稼ぐか(生きるか)』。
物質的な世の中の価値観も 終わり始めている。
日本、そして世界の現状の大変動と共に
馬の業界も変わっていくのだろうから、
『じゃあ私は何を用意しておこうか?』
それを、ここから数ヶ月
明確にして 意図して 創りたいです。^^
『 創らんといけん ! 』と、
今日7.16、
老いた馬が立てなくなっていく姿を見せられ
私は強く強く それを思っていたのです。
とてもよい傾向です。^^
着実に、段階をひとつひとつ乗り越えて
私自身の人生における体験のそれぞれが
繋がってきているのを感じます。
そこで、気づいたことがありました。
私は、社会貢献になることがしたいのではなく
『産み落とされた環境内で、
この私という人間が いかに
健やかで豊かな人生をおくってやろうか?』
と野心や真髄的な欲求を燃やし始めた時に、
私の心の奥底が 望む生き方が、
この日本の社会変容や社会貢献に自然と繋がる。
そうゆう順番なのか、と
変に固めてきた心の滞りがすーっと通って
心も体も軽く楽になり始めた。*
そんな毎日が所々在る、7月です^^
両親のする 馬の飼い方や扱い方・乗り方と
私は全く違う方面で 馬と生きるだろうと思う。
違いを否定するのを辞める というのは、
両親を許し、自分を許すことと同じである。
そして今の自分をまんま受け入れて
そのまんま生きることが
私が数年考えてきた
『本物の自己愛』なんだと思っている。
それを 体験として理解できる感覚を得る時に、
人間は何もないのに幸福感を感じる。
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私はこうやって、
馬に関わることで学びを頂いている。
自分の精神を成熟し安定させていくことが
調教として馬たちを再建させていくために
必要なことだと解釈している。
なぜなら馬たちは人間の言葉を知らないので
人間それ自身が気づいていない( 無意識の )
精神的なものを感じ取る能力が
ものすごく高い生き物だから。
そして同時に
馬から学びを頂ける人間は、
同時に人生を再建していく力を得られる。
『人間が馬という生き物と関わることの
根本的な意味を、現代人に問いたい。』
歪んだり老いたりした馬たちが
私に教えてきてくれたことを、
私は無視して生きていくわけには
どうしても いかないのです。
幼少期に傷んだ心の古傷を手がかりに、
私はまた、日々馬と向き合っています^^
_ 2021 . 7 . 16 [ 金 ]
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