見出し画像

変わらずにあることが生み出す物語と変わってゆくことで生まれる物語

瀬戸内国際芸術祭2022の夏会期が始まった。

そして、私、中村桃子はこの夏、作品No.Sd51  小豆島ハウスプロジェクト(新建築社+SUNAKI)のスタッフをするため、およそ1ヶ月、小豆島に滞在する。

参加アーティストとして創作過程に関わった訳ではない。

また、スタッフではあるけれども、私はもともと組織内部の人間という訳ではなく今回たまたまご縁があってお手伝いすることになった立場だ。

これから書く文章は新建築社およびSUNAKIを通したオフィシャルな発信ではなく私個人の発言だし、今回の作品に何らかの意味や影響を与えるものではない。鑑賞してもらう上で念頭に置いてもらう必要も無い。

ただ、このプロジェクトは『小豆島の坂手地区を舞台にした建築にまつわるプロジェクト』であり『建築を恒久的なモニュメントではなく、常に変化するドキュメントとして考えることで、建築の新たな可能性を模索するというもの』であるという事に触発されて、その坂手地区にここ数年間関わってきた身として、そして今回そのドキュメントの中に身を置く立場として、私がこの場所に辿り着くまでのことや、今どんな風景が見えているのかということを書いてみたいなと思った。

1.エリエス荘を経験した最後の世代

私が初めて小豆島を訪れたのは大学4年生の頃、2016年の夏休みのこと。

その年も島では瀬戸内国際芸術祭が開催されており、私は、劇団ままごとによる喫茶ままごとのCASTとして1ヶ月ほど坂手に滞在していた。

就職活動もほぼせず、内定がひとつも無い状態で島を訪れていたものだから周囲の大人たちには何かと心配されていた。愛情ゆえの助言とは知りつつもそれを疎ましく思ったりもしていた、まだまだ青い21歳だった。

でも、たしかに自分の中に将来への焦りや不安、迷いはあったけれど、島を訪れたのは別に現実逃避ではなくて、自分の人生においてその時間が必要だったからだと今でも思う。

当時の感情は当時の自分がFacebookに書き残していたから興味がある人はその記事も読んでもらえたらと思うのだけど、今回話したい本筋からは逸れるので、一旦置いておく。

その時に滞在していたのが、坂手港の、フェリー乗り場の真横にあったエリエス荘だった。

ここはかつてサイクリングターミナルとして島の人たちに親しまれた建物だったらしいのだけど、その後、瀬戸芸の参加アーティストが宿泊・交流・作品制作をする拠点になっていた。

エリエス荘は、トイレは暗い上に扉が軋んで怖かったし、部屋は暑いし、虫もよく出た。けしてきれいではなかった。

でもそういうことを上回る豊かさと居心地の良さがあって、好きだった。

ただ寝泊まりをするだけの建物じゃなく、そこで色んな出来事が起きて、縁が繋がって、世界が広がるような、そんな場だった。

その魅力を作り出しているひとつが共用の広い食堂で、食堂と言ってもお店が入っているのではなく各々で自炊する形式なのだけど、ここが必然的に他のアーティストや島の人との出会いと交流の場になっていた。たまたま食事のタイミングがかぶって居合わせた人との一期一会の会話もあれば、何度か顔を合わせて深まる縁もあった。

多様な人が行き交う環境が1階にある一方、入り口すぐの階段を上れば食堂に顔を出さずとも2階や3階の個室に行けたし、外に出ればすぐに港の先まで行けるから、1人になりたい時もあんまり困らなかった。

そこにいてもいい、ということと、いなくてもいい、ということのどちらも許されるバランスがすごく丁度良かった。

ちなみに、私が滞在していた2016年よりも、それ以前、2013年〜2014年頃に醤の郷+坂手港プロジェクトが行われていた頃の方が坂手港周辺やエリエス荘の盛り上がりがすごかったと聞く。
私はその頃のことを伝聞でしか知らないけれど、アーティストも島民もみんな口を揃えて「奇跡的だった」というような意味のことを言うし、『小豆島にみる日本の未来のつくり方』という本においても、隠れた最優秀作品としてエリエス荘の存在が挙げられている。

とはいえ、いちばんの盛り上がりを見せた年ではなくとも、私はそんな奇跡の名残りを2016年に体感したと思っている。それを体感した、最後の世代だと思う。

エリエス荘は老朽化によって解体されてしまったため、今はもう無い。
その次の瀬戸芸の時にはもう滞在することは出来なかった。

でも、エリエス荘という建物自体は無くなっても小豆島や坂手にはまたそういう奇跡が生まれる土壌がある気がして、その豊かさを継ぐ場所にまた出会いたいという欲求が、私がその後も小豆島に関わり続けている理由の根っこにある気がしている。

2.ままごとハウス(現:magic∞HOUR)の立ち上げと坂手での暮らし

初めて小豆島を訪れてから3年後の、2019年。
24歳になった私は再び小豆島を訪れ、約半年間暮らしていた。

劇団ままごとのプロデューサー宮永さんから 「小豆島で『旅館ままごと』やってみたいんだけど若女将やらない?」 と声をかけてもらったのがそのはじまりだった。

それに対して私は

・2016 年に小豆島滞在していた日々が自分の中で価値ある時間だったこと
・自分が、東京をはじめ都市部で行われる表現だけではなく、地方で生まれる表現の可能性を面白いと思うタイプだったこと
・文化政策やアートマネジメント系の大学にいたこともあり、地域とアートの関わりに興味があったこと

等の理由からやりたいと答えていた。

結局その『旅館ままごと』は準備期間の短さやら宿泊業の許可やらの関係で 実現不可能だったのだけど、「それが無理なら『ままごとハウス』をつくり、そこを拠点とした アーティスト・イン・レジデンス(AIR)をやりたい。できれば『喫茶ままごと』もまたやりたい」という話も出てきて、旅館をやらないなら若女将も必要ないから話は白紙となるわけでもなく、じゃあ私はどういう形でそこに関わるのかという方向にシフトした。

このとき、『ままごとハウス』は老朽化で使用できなくなったエリエス荘へのリスペクトを込めた場所というのがコンセプトにあった。

エリエス荘とは規模感も活用方法も異なりどうしても違う性質を帯びてはしまうけれど、『ままごとハウス』を、あの豊かさを継ぐ場にしていきたいという思いがあった。坂手に、また帰ってくるための場所をつくりたかった。

そうなると旅館経営ほどでは無くともその場所の準備や管理をする人が必要で、でも宮永さん一人だけではマンパワーも足りないし、ままごとの他の劇団員は小豆島以外の演劇活動や家庭もある。

だからといって 2016 年の『喫茶ままごと』の時のように 2 週間~1 か月というスパンで 色々な人が入れ替わり立ち代わりスタッフとしてやってくるスタイルは、その人自身が滞在者側になってしまって受け入れ側に回れないし、長期的にその場所の運営について考えることが出来ない。「場をつくる」というのは継続的な作業だからあまり断続的にならないほうがいい。

あとはまあ個人的に色々な土地を転々と引っ越してきた実感としても、最低 1 か月はそこに居ないと地域に根は張れないというか、住む人たちとの関係も表面的なものに留まるなと思っていた。

それに、外側に立って「いいところだね」と眺めるのはとても簡単だけど、そこから一歩踏み込んだ先にあるもののほうが、つくるのは難しいけれど強度がある。

じゃあやっぱり、完全移住ではなく関係人口というような立場であっても、ある程度長い期間そこにいることが必要だ。

そんな理由で、島への長期滞在を決めた。
正直最初からここまで全部を言語化できていた訳ではないのだけど、今思い返すとそんな感じだった。

そうして、坂手にあった古民家で、かつての住民が残していった家具や食器を整理したり、埃だらけだった家全体を大掃除したり、必要な家電を運び入れたり、障子を張り替えたりと住める状態にして宮永さんと一緒に『ままごとハウス』を立ち上げた。

2019年のうちには、横浜の急な坂スタジオの取り組み「フランケンズのサマーキャンプ」の滞在場所として利用してもらうなど、レジデンス拠点として実際に使ってもらうこともできた。

 それに加え、私がどのような形で『ままごとハウス』に関わるのかの 1 つとして、私もアーティストとして作品を残す、ということになり、島を舞台にした掌編小説をこのnote上に書いたりしていた。
(余談だけど、若い女の子の恋の話の時だけやたら「体験談?」と聞かれたものの、島の生活に着想を得たものではあれどエッセイでは無くフィクションなので全然私の話では無い)


そうやって半年間この坂手地区に暮らしたことで、私と島の距離も随分と近くなった。その年の阿豆枳島(あずきしま)神社の例大祭や内海八幡神社の秋祭り(太鼓祭り)では、巫女をやらないかとお声がけいただいて浦安の舞を奉納したりもした。

お祭りがただのイベントではなく「祀る」を語源としている神事で、その土地に深く根差したものであるという性質をあらためて理解する経験だった。
島の人からの反応としても自分自身の感覚としても、巫女になったことを通してそれまでより島の内側に溶け込んだという実感があった。

『ままごとハウス』に話を戻すと、この場所の運営が劇団ままごとの管轄ではなく宮永さんの個人活動という扱いになったこともありその後『magic∞HOUR(マジックアワー)』に改名したのだけど、残念ながらそれからすぐにコロナ禍に突入してしまって2020年以降は関係者や知人による半クローズドな利用に限っている為、立ち上げ当初に思い描いていたようなレジデンス拠点としての表立った運用はされていない。

それでも、2021年の冬に『しょうどしマーチ~島にまつわる演劇や音楽のライブ~』というイベントを行った際にも一部のメンバーの宿泊場所になったりもしたし、あそこがあることで創作ができる人、帰ってくることができる人がいる以上、2019年にあの場を整えた事は無駄では無かったんじゃないかと思う。


そして、2022年、27歳になった私はこの『magic∞HOUR』に再び滞在している。
普段は違う土地に住んでいるけれども、この場所があるから坂手にまた滞在することができて、冒頭に書いた小豆島ハウスプロジェクトのスタッフとして通うことができている。

3.建築という分野との出会い

「建築」を人生の中で初めてきちんと意識したのも、小豆島だった。
2016年、エリエス荘に滞在中の事だった。

他の人に連れられて、大西麻貴 × 西沢立衛 × 藤村龍至 × 藤原徹平 × 家成俊勝 × 赤代武志「小豆島建築ミーティング vol.03」のトークを聴きにUmaki Campに行ったのが私と建築分野との出会いだった。

建築関係者に怒られそうな話だけれど、それまでは本当にぼんやりとした解像度で「建物をたてる」というような認識しか無かった。
私はそれまで、そこをどんな場にしていくかというソフト面での「場づくり」には興味があったくせに、ハード面への興味が薄かった。
今思えば何かを設計する際に無目的・無計画であるわけもないのだけど、ハコとしてただそこにある建築物のイメージが大きかったというか、なんとなく無機質な印象で、それを建てるに至る背景や文脈、意図まで意識が及んでおらず、芸術祭の中に建築が含まれることの理由もいまいちぴんときていなかった。

だから、その年の建築ミーティングで話されていた詳しい内容は、正直きちんと覚えてはいない。覚えていないというか、そこで出てきた単語や前提条件に関する知識が無くて点と点を繋ぐことが出来ず理解が追い付かなかったというのが大きい。

でもその時初めて、あ、建築物ってこんなにも街や人、暮らしに思いを馳せてつくられているんだ、と思ったことを覚えている。
建築関係者からすれば当たり前のことかもしれないけど、なんだ、こんなにも自分たちの生活に地続きの話だったのかと新鮮な驚きだった。

(ちなみに2019年の建築ミーティングvol.4は行くことができなかったけれど、登壇していた方々の打ち上げ場所として、当時私たちが営業していた『喫茶ままごと』を利用してもらった。特に自己紹介をしたわけでもないし、その時いらしていた方々も私の事は覚えていないとは思う。あくまで打ち上げだから建築の話をその場で聞いたわけでもない。ただ、建築に関わる人々と小豆島でまた出会い、同じ空間にいたことで、建築業界を身近に感じる感覚は増した。)

あとは、私は2019年にnanamomoという創作ユニットを結成したのだけれど、そこにあとから加わったメンバーが建築を学んでいたのも私の中の建築の認識を広げてもらうきっかけのひとつとなった。

そんなこんなで、素人なりに一つひとつの建築に対してそのコンテクストを意識するようになり、面白いなと思うようになっていった。


4.そして小豆島ハウスへ

建築を面白いと思う視点が養われたとはいえ、今でも建築を専門的に学んだことはないし、歴史や用語にも疎い。

私よりも小豆島ハウスプロジェクトをより深く理解できたり、関わってみたいとか、スタッフをしてみたいと思う熱量のある建築学生もいるんじゃないかという気はする。

そんな私がなぜ今年、小豆島ハウスのスタッフになったのか?
もともと面識があった訳でもなく畑違いの私に「スタッフをしないか」と声がかかったのはなぜか?

現場にもよるけれども、スタッフというのは時に「誰でもできる」と軽視されがちで、スポットライトの当たりにくい匿名性の高いポジションだ。実際、作品が主役であることに異論は無いし、無駄に目立ちたいわけでも無い。

でも、今回のこの小豆島ハウスのスタッフ業務に関して言えば、きっと誰でも良かったのではなくて、私が私であるからこそ、島との関係性や経験、そこで養われた視点を持っているからこそ関わることになったのだと思っている。

小豆島ハウスの成り立ち的には、別に、ここまで書いてきたようなエリエス荘やままごとハウスの文脈を継いでいる訳でもなんでもない。全く異なる独立した取り組みだ。ただ、坂手を拠点にして人が集まる場所をつくるという共通項があるならば、完全に切り離して考えるのではなく還元できるものは還元した方が、繋げられるものは繋げた方が、坂手という地区が豊かな場所になっていくように思う。

還元すると言っても具体的に何か私が企画をするとかそういうことではないのだけれど、私が今回ここにいることそれ自体が既に、異なる文脈を結ぶ懸け橋になっているんじゃないかと思いたい。

いつだって、空間をその場所たらしめるのは、そこにいる人だと思うから。

そして、今回こうしてnoteの記事を書いたのもそのひとつだけれど、半分外側で半分内側にいる私がこうして言葉を綴る事で、これまで建築に興味がなかった人たちにこの場所を知ってもらったり、新建築社や砂木の人々、あるいは島の人や観光に来たお客さん、それぞれに何か新しい視点をもたらせるといい。

5.おしらせ的なもろもろ

冒頭で、この文章はスタッフとしてのオフィシャルな発信ではなくあくまで個人の発言だとは書いたけれども、そんなわけで、私が楽しんでいる小豆島ハウスでのこれまでとこれからについて少しだけ書いておく。

瀬戸内国際芸術祭の夏会期中は、下記の時間帯でオープンしているので是非たくさんの人に来てもらいたい。

開館時間: 10:00 - 17:00 (火曜日閉館・8/16を除く)
夏会期 : 8/5 - 9/4
展示住所:香川県小豆郡小豆島町坂手甲1017

それから、今年の建築ミーティングは、一般公開はオンラインではあるけれど、この小豆島ハウスで開催される。
建築に興味を持つきっかけとなったイベントがまた自分のいる場所で行われることが個人的に嬉しい。

共催:ドットアーキテクツ、砂木 協賛:新建築社 後援:小豆島町
日時: 2022年8月14日13:00-16:00
配信URL: https://youtu.be/73ZjgJX74ko

まだまだ建築についてわからない事も多いけれど、少なくとも2016年当時よりは島に対しても建物に対しても当事者意識を持って聞く事ができるようになったと思うから、どんな話が繰り広げられるのかを楽しみにしている。

また、この小豆島ハウスに暮らし、設計している砂木スタッフの大須賀さんが新建築オンラインで連載されているエッセイでは、このnoteよりずっと詳しく小豆島ハウスプロジェクトについて書かれている。


小豆島ハウスのInstagramも昨日から動き始めた。

写真投稿のほか、ストーリーなどでも随時この場所のことを発信していく予定なので、ぜひ見守ってもらえたらと思う。

まだまだ色んなことが始まったばかりで、これからここがどんな場所になっていくかは未知数だ。
でも、この小豆島ハウスがただのクローズドな空間で終わらず、奇跡を目撃できるような場所になっていってほしいと、そう願っている。

Thank you for reading. いただいたサポートは本の購入など勉強代として使わせていただきます!