察してほしいのは何で?

「女の子はよく察してほしいって言うけど…」

と男性から話があったので、この察して問題について言語化してみます。


察してほしい人は察することを愛情だと思っている


恋人に察してほしいと望む人は、察するという行為が愛情に基づいていると思っています。

そしてこれはある意味で正しくもあります。

私は親として、朝起きた時に子供の瞼の二重幅が普段より数ミリ広いだけで「あ、この後熱が出るな」と分かりました。

言葉数がやや少ない理由が疲れなのか不機嫌なのかもおおよそ分かります。

これらは「察する」機能で、言語化が難しい幼児の子育てにはとても有効に働きます。

そしてこれはたいてい家族や友人、恋人にも自動的に発揮されます。

察してほしい人は、愛情があるから相手にこの察する機能を使うので、逆もしかりだと思っています。

つまり

「私を愛しているなら私の気持ちを察してくれるはず」


と無意識に思っています。



「察する」は機能の一つであり、あまり稼働していない人もいる


でも察することが苦手な人はそもそも察するという機能が搭載されていない、または稼働していない場合があります。

先程の例で言えば、私は自分の子供には察する機能がドンピシャに働くけれど、たまに会うくらいの子供へは察する機能が大幅に低下します。

そこに大きく影響するのは経験です。

幼少期から大人へ成長する過程において、周囲の状況や人の状態を察することが有意義な環境で育った人は察する機能のレベルが上がるし、そうでなかった人はレベルが上がりません。

生まれつきの得手不得手もあります。

だから、必ずしも「愛情があれば察することができる」とは限りません。

でも人は自分の経験が物差しになるので、察することで愛情を伝える人は、


察してくれないという事実

から

自分への愛情がないという結論


を出してしまうのです。


でも察することが愛情表現だという意識がない人は、本心から「何でそうなるの?」と戸惑ってしまいます。

確かに自分は察することが苦手だけど、それ以外の方法で愛情を表しているよ。
それはノーカウントなの?

みたいな気持ちになります。



私は方向音痴なので、不慣れな地域で運転はしたくありません。

努力で改善することもあるでしょうけれど、

「愛情の表れとして方向音痴を直してほしい」

と言われたら、

「申し訳ないけれど私ではなく空間認知力の高い人を選んでください」


と返事すると思います。


合う合わない、努力ではどうにもならない部分は確かにあります。


察することが不得意な人に「私を好きなら私の気持ちを察してよ」と願ってもそれは難しい。

察することが不得意な相手には明確に言葉で伝えましょう。

察することが不得意なだけでパートナーの希望は叶えたいと思う人なら、ちゃんと応えてくれます。

もし言葉で伝えてもあまり変わらないなら、それは察するか否か以前の問題で、関係の継続そのものを見直す必要がある相手なのです。


女性はワガママとか図々しいとか思われるのが嫌だったり、その場で波風立てるのを避けたかったりで、我慢した結果察してもらえないことを不満に思うことがあります。

でも積み重ねた我慢はある時限界になり、結局怒ってしまう日が来ます。

最終的に怒ってしまうなら小出しに言葉で伝えた方がコミュニケーションとして有効だし、関係性も良好になります。


察してほしいと思う人も、明日から言葉で伝えることを意識してみましょう。

実際にやってみると想像以上にプラスの効果を感じられますよ。

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