「結婚願望はないけど恋人ならほしい人」が求めるものと接し方

一度結婚を経験すると、結婚と比べて恋愛関係が社会的に軽いものであると理解します。

恋愛は口約束でしかないし、浮気しても慰謝料請求なんてないし、相手の人生も生活も何ら責任を負わない。

恋愛の延長で結婚があるとしても、重みは決して恋愛=結婚にはなり得ないのです。

だから、例えば結婚した経験のある人が

結婚(再婚)願望はないけど恋人ならほしい

と言ったら、それは

相手の人生に責任を負わず楽しい時間ならほしい

という意味です。


後述しますが人それぞれ事情はあるので、それが=100%不誠実だとはなりません。

でも婚姻届を出し配偶者として責任を負った経験があれば、恋人関係の軽さは分かってしまいます。



かと言って



だから恋愛はダメで結婚は良い、という事ではありません。

善し悪しではなくて、それぞれジャンルが違うのです。

恋愛はキラキラしてドキドキしてウキウキする有限かもしれないもの、彩り

結婚は日常で生活で淡々として盛り上がりには欠けてずっと続く(前提の)もの、落ち着き

どちらが上とか下とかではなく、それぞれに尊さがあるのです。



離婚経験者には、「再婚願望があまりない、二度としないと決めてはいないけど、しばらくはいいかな」みたいな人が多くいます。

そういう人は、恋人を作るなら楽しい時間を過ごしたいという気持ちが強い。

結婚は楽しいだけじゃないと経験から学び、離婚は成立するまでが大変だからそれに疲れて、とりあえずしばらくは楽しければいい、疲れたり負担を感じるのはいいや、みたいな心境に至ります。

これは無責任というより、他者(配偶者や子ども、姻族)に責任を負うことの重さを知るからこそ、安易にその重さを引き受けないという割と真っ当な判断に基づいていたりします。

そして結婚の経験がなくてもこのような考え方をする人もいます。


そういう人は上記の

結婚(再婚)願望はないけど恋人ならほしい

的な気持ちになります。


こんな風に分析すると薄っぺらいだけみたいな印象になりますが、「責任を背負わないと決めそれを相手に前もって伝える」というのも一つの誠実さなのです。

自分は今責任を負うつもりはない、楽しい時間がほしいだけ、それでもいいのか?

と説明することは相手に対する誠意の一つであり、合意できるならイエス、そのような関係を望まないなら「タイミングが違ったね」なのです。


ここで「そんなこと言っても一緒にいるうちに気持ちが変わって結婚を意識するようになるよね?」みたいな期待はしない方がいい。


そして、

楽しい時間というのは、大袈裟ではなく時に明日を生きる希望になり得るので、「恋人ならいいなんて無責任じゃん」と一概に否定できるものではありません。



楽しいだけ=簡単、ではない




前回の投稿でも書いた通り、楽しい時間を過ごす関係を続けるというのは、意外に難しいのです。

本当に楽しい時間を過ごす「だけ」の関係には

・メンタルのコントロール
・引き出しの多さ
・新しい経験へのチャレンジ精神
・語彙力
・相手との適切な距離感を察する感性
・お互いの「楽しい」を擦り合わせるバランス

などが必要です。

これらは身についていれば恋愛以外の人間関係も、なんなら仕事も上手くやれそうなスキルです。

言い換えれば、このように楽しい時間が確実に過ごせる人はどのような関係性であれ長い付き合いを望まれやすく、結果的に楽しいだけじゃない存在に変化する可能性が高めなのです。

誰だって一緒にいて楽しい人と過ごす時間を増やしたいですからね。

良い恋愛をしたい、良い結婚をしたい、組織やグループに必要だと思われる存在になりたい…

このような願望があるなら、一緒にいて楽しいと思われる要素を身につけるとプラスになります。

見方を変えれば「一緒にいると明るい気持ちになる」とかですね。

このような人柄はなってみるとプラスの効果をはっきりと感じるので、トレーニングだと思って上記の要素を増やすことを意識してみましょう。

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