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Vol.8母の看取り

看護コーチの休憩室へようこそ。

明日は、私の母の命日。もう、30年前です。

仕事では多くの看取りをしましたが、母となるとそれは別で、それまで自分がしてきた看護を母のためだけにと思い、仕事も辞めて半年間病院通いや付き添いもしました。昨日のことのように鮮明に思い出せます。母と話したたくさんの会話。半年間で一生分の話をしたような気もします。

母は、急に病気が見つかって、その当時私が勤めていた病院へ入院しました。手術もしたのですが、残念ながら積極的な治療はできないということで、地元の総合病院へ転院になりました。そこの看護師長をはじめ主任、担当看護師はとても良い方達ばかりで、私の意向をよく聞いてくださいました。看護師ということも含めて、医療処置以外のケアを全て一緒にもしくは、私に任せてくれました。清潔ケア、散歩、トイレ介助は私が行って報告する形も取ってくださいました。

徐々に体調も下り坂になり、最後の外泊も中心静脈栄養を入れながらの帰宅。何を食べてもOKと許可をもらい、短い期間でしたが家族水入らずの時間を取ることもできました。

当時、インフォームドコンセントはまだなかった時代、病名の告知はされておらず、病気の話は一切しなかったものの、母は、私の夢や未来のことをたくさん聴いてくれました。とても大切な時間でした。

亡くなるまでの2週間、口からはほとんど食べられなくなっても、大好きなコーヒーの香りを楽しみにしていた母。担当医が、コーヒー飲んでもいいよと。食堂から、ひきたてのコーヒーを紙コップに1杯持って来てくれたこともありました。口を湿らすくらいの僅かなコーヒーを口に持っていき微かな笑顔を浮かべたことから、ここまで皆さんに大切に思われたことを感じ、感謝の気持ちでいっぱいでした。

母の入院に付き添いながら、自分が看取ってきた患者さんをたくさん思い出しました。家族も含めて幸せな一生を終える看護ができたのだろうか。

今、直接の臨床看護からは離れていますが、クリニックのマネジメントや、看護学生に看護倫理を教える立場、看護コーチとして看護師と関わる中で、「看護とは」ということをずっと考えていくことができればと考えます。看護師の在り方は、コーチとしての在り方とも多くの共通点があります。全ての看護師がコーチだったら、医療の現場はどのように変化していくのか、今、そんな思いで過ごしています。

今日は、義父の命日でした。10月は、命日が続きます。

命が続いていることに感謝を込めて、合掌。

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