【リライト】おいしいものと帰る場所がある幸せ

うぅ…締め切りすぎた…

↑タイムラインを流れてきた企画。
わたしは、他のひとの物語を読むのがすきで、いつも読むだけです。
ですが、今日は、

「思い出のおいしかった味、お店について語り合おうよ〜!」

という、主催者・ごはんさんの言葉に惹かれ、わたしも語ってみたいなぁ…そんな思い出の輪に入れていただけたらなぁ…と思い、参加を決めました。

とはいえ、外食はあまりしないほうなので、以前書いた『おいしいものと帰る場所がある幸せ』をリライトしての参加にいたします。

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実家の最寄りはローカル線の小さな駅。そこから歩いてすぐに、わたしの思い出のお店はあった。ひっそり小さな店内。レトロな装飾と音楽。いろいろなコーヒーとシンプルな軽食。両親よりも少し年上と思われるご夫婦が切り盛りしている「昔ながらの喫茶店」という感じだった。

初めてお店に行ったとき。わたしは、まだ小学校にも上がっていなかったのではないかと思う。お金がないくせに「本物志向」だった父は、幼いうちから「本物のおいしいもの」を食べさせようとしたのだろうけれど、当時のわたしは、めったにない外食ができるだけで大はしゃぎ。そんな父の思いに考えが及ばなかった。わたしが頼んだのは、ホットケーキ、フルーツヨーグルト、紅茶。添えられていたシナモンスティックの香りに酔い、4、5歳のちびっ子が、まるで大人の女性になったような心地よさを感じたことを覚えている。

次にお店に行ったのは、父が急死し、その葬式が落ち着いたとき。父と行った日から10年以上経っていたはずだけれど、お店の雰囲気もメニューもほとんど変わっていなかった。「お父さんと一緒に来たことがあったよね」と話しながら、フランスパンにチーズがたっぷりのピザトーストを家族で食べた。その後も何度か、家族で、時々ひとりで、「普通のお客さん」としてお店を訪ねた。
わたしの持病が急激に悪化し、車椅子になるまでは。

全身の痛みが急にひどくなり、一歩も歩けなくなったわたしは、母に車椅子を押してもらい、お店を訪ねた。通院の帰り道だった。「車椅子でもいいですか?」と訊くと、おじさんとおばさんは、わたしのために、入り口からすぐの席を空けてくれた。まだ車椅子生活に不慣れで、「どの道なら通れる?」「どのお店なら入れる?」などにすごく疲れていたわたしにとって、おじさんとおばさんの気遣いはほんとうに嬉しいものだった。日替わりのコンビーフとポテトのサンドイッチを食べながら、病気の治療法が見つからないこと、大学を退学しなければいけないかもしれないこと、つらくて苦しくていっそ死んでしまいたいと思っていることを母に話した。わたしがワンワン声を上げて泣くから、おじさんとおばさんにはわたしと母の話が聞こえてしまっていたかもしれない。

それから、病院の帰りには、お店を訪ねるようになった。おじさんとおばさんは、入り口すぐの席を空けてくれるだけでなく、優しく声をかけてくれるようになって、わたしも、幼い頃に亡き父と来たことや自分の病気のことなど、少しずつ、おじさんとおばさんに話すようになった。さらに数年が経った夏の日。わたしは、家族やお医者さんに内緒でひとりで外に出て、おじさんとおばさんのお店へクリームソーダを飲みに行った。いろいろな治療とリハビリを重ねたわたしは、杖があれば、ゆっくり歩けるようになっていたからだ。おじさんとおばさんは「お母さんに心配かけたらだめだよ」「またおいで」とひとりで歩いて来れたことを一緒に喜んでくれた。

歩けるようになったわたしは、フリーランスで仕事を始めた。初めて契約がとれた日には、嬉しくて嬉しくて、お店へ報告に行った。おじさんとおばさんは「お祝い!」と言って、チーズケーキをごちそうしてくれた。甘すぎず、さわやかなチーズケーキはわたしの大好物だった。それから、おじさんが体調を崩してしまい、しばらくお店をお休みすることになった。「おじさんの具合、そんなに悪いのかな」「このまま、やめちゃうのかな」と不安だったわたしは、シャッターの下りたお店の前を通って、お店が開くのをずっと待っていた。わざわざ。何度も。そうして、半年ほど経った頃、シャッターを開け、灯りのともるお店の中。おじさんがせっせと掃除しているのを見つけた。心配と嬉しさが押し寄せて、耐えられなくて、わたしはぽろぽろ泣いていた。おじさんは「なーんだよ、泣くなよー」と抱きしめてくれた。

お店が再開してすぐ。わたしは結婚を決めて、おじさんとおばさんに報告に行った。おじさんとおばさんは、目を潤ませて「よかったね、よかったね」と繰り返し、とても喜んでくれた。なんと、手紙とお祝いまで渡してくれた。おじさんとおばさんにとって、わたしは、いつの間にか「特別なお客さん」になっていたみたいだった。もちろん、わたしにとっても、おじさんとおばさんとそのお店は「特別な存在」になっていた。

わたしは結婚を機に、生まれ育った街を離れた。だけど、帰省の度に、夫とモーニングを食べに行った。おじさんとおばさんは「優しそうな旦那さんだね」「得意料理は何なの?」といろいろ話しかけてくれた。そして、わたしがお店を出るときには、必ず「無理しちゃだめだからね」と声をかけてくれた。わたしは、子どもが生まれからもお店を訪ねた。その頃、『しろくまちゃんのほっとけーき』にどハマりしていた上の子は、お店の本物のホットケーキに大喜び!おじさんとおばさんは、子どもが残してしまったホットケーキをきれいに包んで、お土産に持たせてくれた。メイプルシロップの瓶を添えて。

昨年。おじさんとおばさんがお店を閉めるそうだと母から聞いた。下の子を産んだばかりのわたしは、お店の最後の日に駆けつけることができそうになかった。どうしても、おじさんとおばさんにお礼を伝えたかったわたしは、おじさんとおばさんに宛てて手紙を書いた。おじさんとおばさんのお店は亡き父との思い出の場所だったこと。わたしの人生の一番つらく苦しいときも、一番幸せなときも、あたたかく見守ってもらった「わたしの帰る場所」になっていたこと。コーヒーが苦手で、夏はクリームソーダを、冬はホットチョコレートを注文していたこと、コーヒーのお店なのにコーヒーを一度も飲まず、とても失礼をしてしまって今さら後悔していること…

わたしが手紙を送ってから、母が閉店間際のお店を訪ねたときのこと。おじさんとおばさんは、わたしからの手紙を母に見せ、「宝物だよ」と笑って話してくれたそうだ。おじさんとおばさんがお店を閉めたのは、歳をとり、お店を続けるのが難しくなったこと、飲食店の完全禁煙(分煙)制度に腹が立ったからだと、後に母から聞いた。あのお店は、確かに分煙しておらず、コーヒーとタバコで一服するお客さんでいっぱいだった。だけど、わたしが大きなおなかを抱えていたときも、子どもを連れて行ったときも、わたしに文句を言うお客さんはひとりもいなかった。むしろ、わたしや子どもに気遣って、奥の席に移動してくれたり、入り口からすぐの席を譲ってくれたり…ヘビースモーカーだった父のせいで、喫煙者に一方的な偏見を持っていたわたしは、現実世界のひとたちはそうでもないと知ることができた。おじさんとおばさんのお店のお客さんだもの、悪いひとなんていないに決まっている。

小さな駅のそばにそっと開かれていた、昔ながらの喫茶店。わたしは、そのお店のおじさんとおばさんから「おいしいものと『帰る場所』がある幸せ」を教えてもらった。

おじさん、おばさん。
おいしいもの、帰る場所、素敵な時間をありがとうございました。
そして、長い間、お疲れ様でした。
どうか、これからは、ゆっくりと、ご自分のために時間を使ってください。