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障害について考えたお話

私の母に障害もあり、パラリンピックもあり、障害について考えてみました。

障害ってなに?

目が見えない、脚がない、思うように身体が動かない・・・いろいろな障害があります。誤解を怖れずに書きますが、障害って本当に障害なんでしょうか?

障害の対義語は、「健常」だそうです。日常生活に支障がない人という意味だそうです。

こう言われると、健常が通常と言うか正しいみたいな意味に思えてきますが・・・
(本意ではないのですが、他に言葉が思い浮かばないので「障害」という言葉を使います。)

障害が健常の逆となると、日常生活に支障がある人という意味になりますが、これこそが間違えだと思います。

障害者が日常生活に支障がある理由は、大多数の健常者を基準に社会を作ったからです。

分かりづらいので例を挙げます。渋谷駅までの切符を買う時を考えて下さい。(俺はSuicaだから関係無いと言う話は置いておいて)

まず、路線図から渋谷駅を見つけて、金額を確認します。そしてお金を準備して券売機にお金を入れて金額のボタンを押します。そして出てきた切符を持って改札を通る、と言う流れになります。

これを目が見えない人や手が思うように動かない人がやろうと思うとかなり難しいでしょうね。だから日常生活に支障があるよね、と言うことになります。

でもね、目が見えない人、手が動かない人が切符を買うのが大変なのは、目が見えないことだけが理由ですか?手が動かないことだけが理由ですか?

もし、目が見えなくても、手が動かなくても電車に乗れるようになっていれば、日常生活に支障がない、と言うことになりませんか?切符を買わなくても電車に乗れてお金はあとから引き落としにできれば、目が見えなくても切符を買うことに支障はないですよね?

そうなんです。存在しないミスター健常者を想定して、その人が住みやすい社会を作っておいて、そこに障害者を当てはめるから生活に支障が出てくるのです。

障害者と健常者を区別するな

ここまで書くと「障害者と健常者を分けて生活すべきなのか?」とも思われますが、私はそうは思いません。なぜなら、障害が重い人も居れば軽い人も居ます。健常者が障害者にもなることがあります。障害者と健常者を分けて生活することには意味がないし、無理だし、その必要はないからです。

じゃあ、障害者はどうすればいいの?実際生活しづらいじゃん、と思われると思います。

私は、障害がある人にも住みやすい社会を作ることだと思います。健常者だけを想定して社会を作るのではなくて、障害のある人にも住みやすい社会を作ることが必要があります

確かにバリアフリー化も進んでいますが・・・これって十分?例えば車椅子を使っていると、歩道が登ったり下ったりであることに気づきます。交差点では、車道で歩道が途切れますよね。これって、車優先だと思うし、ほとんどの人には多少の上り下りががあっても何ら問題がないからだと思うんです。でも、車椅子の人、脚が不自由な人にとっては、多少の上り下りもとても大変なんですよ。

駅も車椅子が階段を使わないで上れる通路は、大概端っこの方にあります。車椅子の方が使うためのエレベーターも数が少ないですし、不便なところにあることもあります。

もう少し、障害がある人に優しくなれないんでしょうか?

障害は障害ではない

障害はそもそもで日常に支障がある人とくくるべきではありません。健常者だけが住みやすい社会を作ったために障害がある人が住みにくくなっているのです。

そもそも、障害は障害じゃないんです。世の中には背が高い人、低い人、太った人、痩せた人、足の速い人、いろいろな特長を持った人がいます。障害はたまたま目が見えない、脚がないと言った特長を持った人だと思います。なので、健常者と違うからと言って差別するなんてもってのほかです。「みんなおなじ人間、でもみんな違う」って当然だからです。

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