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今とは全く違う男尊女卑な会社で働くこと

初夏。

今年は我が家の庭にある桜の木に初めて納得の数のさくらんぼ🍒が可愛く実りました。

赤い実はとても甘くて、小さいけど、果肉はちゃんとあるんです。

食べ応え満足な収穫です。



さて、今日の本題は、男尊女卑な会社で働くことに疲れ果てた33年ほど前の私について語ろうと思います、、

19歳の夏楽しかった充実したアメリカ留学から帰国した私はその同じ年の秋に地元にある大手企業の途中入社で働き始めました。

所属された場所は英語ができることが必須だったため、私はとても重宝され、世間知らずな私は先輩社員からいろいろなことを教えてもらいながら毎日楽しく仕事をしていました。

何を教えてもらったかと言うと…

恐竜と怪獣は違うものである。

とか

普通の「みなと」と言う苗字は「湊」と書く。⬅︎港ではないと知った笑

とか。

結婚予定の彼女との結婚までの道のりの話とか笑



まあ、それはさておき…

その先輩社員と私がいた事業部は田舎にあって考え方が欧米式だったため、女子社員はお茶汲みとコピー、ファックス、電話対応が主な仕事であった時代に、責任のある仕事を全女性社員に任せるところだったんです。

私は何の担当だったかと言うと、ある映像機器のカタログをカナダ向けに制作することを任されていました🎵

カナダの担当者と英語での国際電話とファックスとテレックスのやりとりを日々やりながらの仕事をしていたんです。

まだパソコンがない時代、インターネットもないからEメールもできない。だからカタログのデザイン画を国際郵便で送り、カナダでチェックしてもらい返送。

チェック済みのデザイン画を見ながら国際電話で詳細確認。

今思うとよくあんな中で国際的な仕事をやっていたなぁーって思います。


そんな中、先ほどの先輩社員さんが体調を崩し、休職することになったので、私は違う部署への所属となりました。

そこから田舎の男尊女卑思考に悩まさせることもなるのです。


先輩社員がやっていた仕事の一部を引き継ぎ、そのままカナダの担当もしながら、江戸時代かと思わせる古い体質の職場の上司と共に仕事をすることになってしまいました。

これまでは大阪の印刷業者へひとりで出張していたのに、急に

「女性一人で県外への宿泊を伴う出張はダメ!」

と言われ、私は

「はぁー!!!!!?」

って思いました。

21歳の大人の女性ですよ!

ひとりで宿泊できますから!

ひとりでアメリカまで行きましたから!

もう私の頭の中は?????だらけでした。

結果嫌いな上司がくっついてきての出張。

仕事にならない!



他にもありました、男尊女卑ストーリーが。

先輩上司に代わりアメリカの担当者との会議に出るために控え室で待っていたら、当時の事業部長と言われる一番偉い人が、私にこう言ったのです。

「君はここで何してるの?お茶汲みはちゃんといるよ。」と。

私は

「この後アメリカの担当者とカタログデザインの打ち合わせの予定なので、待っているんです。」と言いました。

その偉い人は何も言わず立ち去りました。

そして、私の会議の時間が来たので、会議室に入り、予定通り打ち合わせをしました、英語を交えて。時に談笑しながら。

その偉い人はその時にも会議室にただ座って見ていたけど、どんな気持ちで見ていたのでしょうか?聞いてみたいものです笑

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そんな男尊女卑が当たり前の会社での仕事はとてもストレスで、仕事は面白いけどあの人たちと仕事をするなんて絶対に嫌!!!

という思いがあり、22歳で結婚が決まった時には専業主婦を当たり前に選んだのでした。

で、結婚したのが大手企業のサラリーマン。

これがまた、古い考え方で凝り固まり、愛情を知らない人なんですよね、その未来の夫が。

結婚してすぐに気づいたけど、まあ子どもが生まれたら変わるかも知れないとか、私がもう少し大人になれば変わるかも知れないとか思ってしまった自分を認めていない私がそこにいました。

その後の結婚生活についてはまた後日。

少し予告するなら

離婚はしてません笑


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