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「詩人が詠うふるさと」 - 三木露風 - [ルポ]

  夕焼小焼の 赤とんぼ
  負われて見たのは いつの日か

 三木露風。その名前は知らなくても、「赤とんぼ」の歌詞を知らない人はいないだろう。

 三木露風(一八八九~一九六四)は龍野(現兵庫県たつの市)に生まれた。龍野はいまも武家屋敷や白壁の土蔵などの町並みが残る五万三千石の城下町だ。原生林の茂る鶏籠山や市内を流れる揖保川の景観はどこかなつかしさをおぼえる。
 白鷺山の展望台から市内を見下ろしている。風の音、鳥のさえずりに混じって、遠くから子供たちの弾けるような笑い声が聞こえてきた。小学校のグラウンドの方向だ。ふいに露風の詩が浮ぶ。


   「反響」

  柔らかな蘆の中の小供
  笑は空に消えて
  そこにはすがたも見えぬ。

  笑は空に
  緑の中に響く、
  はてもないゆるいひろがりの中に。

  世界はこの時、反響しつつ
  何か懶うい優しいしらべを
  童話の海に波だたせる。

  柔らかな蘆の中の小供
  酔ふた世界は反響しつつ
  童話の海に波だたせる。

     (『白き手の猟人』より)


 露風の詩には、ふるさと龍野への望郷と、離別した母への慕情が多く詠われている。
 母「かた」は、子守唄の代わりに万葉集や詩を歌うなど教育熱心だったそうだ。しかし、露風が七歳のときに、父「節次郎」の放蕩が原因で両親は離婚、かたはまだ幼かった弟の勉だけを連れて鳥取の実家へ帰って行った。「ちょっと鳥取に行って来るからね」という言葉だけを残して。彼の作品に漂う悲しさはこんなところにあるのかもしれない。

 その後、露風は祖父に引き取られた。母のいない淋しさからか露風は小学校のときから文学に熱中する。龍野中学校を一番の成績で入学したが、学業がおろそかになり一年で退学、岡山の中学校へ転校することとなり、ふるさと龍野を離れてしまう。


   「雲」

  午後の日に浮ぶ白雲、それを見つ
  つ心動きぬ――
  静かなる夢見ごこち。

  われ、かかる前にありては、
  幼児の如く思い楽しく、
  また、わけもなく泣かるゝなり。

         (『廃園』より)


 この見上げている空は、ふるさとにも母のいる鳥取にも繋がっている。そんな想いで詠まれた詩だと考えるのは無理があるだろうか。
 岡山時代に最初の詩集『夏姫』を発表、その後東京へ向かい以降詩作に専念する。
 明治四十二年(一九〇九)の詩集『廃園』が大きな反響を呼び、『邪宗門』の北原白秋と詩壇を二分して「白露時代」を築いた。今日、「童謡作家」ではなく「詩人」としてあまり知られていないのは残念な気がする。
 昭和三十七年(一九六二)、母かたが永眠する。通夜に訪れた露風は遺族に頼み母と添い寝する。龍野から鳥取へ離れていった母との念願の添い寝。露風七十三歳のときだった。

 揖保川沿いに出る。一本の赤い橋が見えた。旭橋。橋の上から鶏籠山を望むと、うっそうと茂る原生林の緑が迫ってくる。川面から照り返す日差しが眩しい。
 しばらく目を閉じて風に吹かれてみる。汗が冷えて気持ちがいい。風にのって、うっすらと醤油の香りがした。

 揖保川の源流は鳥取県の県境に発している。


※ ライティング教室時代のルポです。


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