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大和名所図会 巻四
この note では『大和名所図会』の挿絵ページを翻刻します。本文ページは大正時代の活字版があるのでそちらを参照してみてくださいね。👀 → 国立国会図書館デジタルコレクション『大日本名所図会 第1輯 第3編』(大正8年)
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出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『大和名所図会4』 5/59
後撰集
泊瀬へ ● ふつとて 山の辺といふ わたりにて
草枕 旅となりなば 山の戸の
白雲ならぬ 我や 宿らん
伊勢
山辺里 は 石上 といふ 所にあり
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※ 「後撰集」は、後撰和歌集。
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古今集 秋
仁和のみかど、親王におはしましける時、ふるの瀧 御覧せんとておわしける路に、遍照が母の家に やどりたまへりける時に、庭を秋の野に作りて、御物語のついでに読てたりける
里はあれて 人はふりにし 宿なれや
庭も籬も 秋の野らなる
僧正遍照
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二階堂
添上郡 虚空蔵 如意山弘仁寺
當山は、嵯峨の天皇の 勅願寺、日本三虚空蔵也。弘仁五甲午年造立。
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二階堂
二階堂町にあり。本尊は、虚空蔵菩薩にして、膳夫寺といふ。むかし 膳夫姫の造営なれば也。初は、天香久山の北表にあり。抑、膳夫姫と申は、あやしの 賤の子にて、根芹を 摘居けるを、聖徳太子 ほのみそめたまひしより、むかへて 妃とせさせ給ふと、能登傳に見へたり。
※ 「抑」は、そもそも。
※ 「ほのみそめたまひし」は、ほの見初め給ひし。ほのは、接頭語ほの(仄)、ほのかに、かすかに。
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布留社
弓になり 鎗にふるのゝ 松の雪
沾徳
※ 「沾徳」は、江戸時代初期の俳人。水間沾徳。
※ 「ふるの」は、布留野。
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布留野
桃尾に行道の瀧の馬場といふ所、ふる野なり。
石上 布留社
布留村 及び 四十八村の氏神也。例祭 九月十五日。
夫當社は、延喜式の 石上㘴 布都 御魂 神社にて、常陸國 鹿嶋の 神宮と 同躰 十握劔 にてまします、又の 御名 天羽斬とも 號す。
抑 、此 劔 は、素戔嗚尊 出雲國にして 八岐乃大虵をたいらげ、その 尾をきり給ふ時に、剱の 刃すこしかけたり。いかなればとて、その尾を 割て見給へば、尾の中に剱あり。是、草薙の 剱にして、尾張國 熱田神なり。蛇 をきる剱は 蛇の麁正と号し、石上に㘴(日本紀)。又、天羽斬といふは、大蛇を 羽|《はゝ》といふ故なり(古語拾遺)。
※ 「古語拾遺」は、平安時代初期に書かれた歴史書。著者は 斎部広成。
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布留瀧 桃尾瀧ともいふ。
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布留瀧
桃尾山にあり。桃尾瀧ともいふ。翠巒峩々として、飛泉 三反ばかり、白虹雲 を 穿て 潟ぎ、寒聲 月を 誘ふて 走る。絶景 窮り 無ふして、廬山の銀河 三千尺ともいひつべし。
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※ 「翠巒」は、緑色に連なる山々のこと。
※「峩」は、峨。山がけわしくそびえるさま。
※ 「飛泉」は、高い所から勢いよく落ちる水。滝、瀑布。
※ 「白虹」は、霧やぬか雨などのとき見られる白色の虹。
※ 「寒聲」は、寒さを感じさせる風や水の音のこと。寒声。
※ 「廬山の銀河三千尺」は、李白の『望廬山瀑布』(廬山の瀑布を望む)をモチーフにしていると思われます。
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内山 永久寺
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永久寺 門前
内山 金剛 乗院 永久寺
山口村の東にあり。鳥羽院の 御願にして、開基 釋 亮慧 真言 傳法の人也。此地、五鈷の 形 の山にして中央に 山峰あり。されば、内山と 号せり。
永久年中の 草創なれば、永久寺と 名附たり。宗旨は 真言にして、本堂には 阿弥陀佛を 本尊とす。奥院 の 不動明王は、日本三躰の其一なり。観音堂 千躰、佛堂、二層塔、大師堂、真言堂には 大日如来を安す。額は、鳥羽院の 宸筆也。
鎮守の社は、清瀧権現、岩上明神、長尾天神を 勧請 す。又、元弘年中、笠置城 没落の時、後醍醐天皇しのびて 入御し給ふ 遺跡、本堂の 乾にあり。又、大 塔宮も 此内山に 隠れ給ふ。其外、諸堂 魏はことして、子院四十七坊ありとなん。宗派は、醍醐金剛院の 法流にして、當山派の 法頭なり。
※ 「五鈷」は、密教で用いる法具で、金剛杵のひとつ。五鈷杵。
※ 「宸筆」は、天子の直筆。勅筆
※「入御」は、天皇・皇后・皇太后が内裏へはいること。
※ 「大塔宮」は、護良親王の通称。大塔宮。
※ 「魏」は、雄大でおごそかなさま。巍巍、魏魏。
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大和神社
人皇十代、崇神天皇 紀 五年の 御鎮座より、今一千八百七十余年になる。
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大和 大國 魂社
新泉村にあり。延喜式曰、大和 㘴 大國魂神社 三■ [■は广+㘴] 并 名神大月次、相嘗、新嘗を祭る。文徳實録 曰、嘉祥 三年十月従二位を 授く。三代實録曰、貞観 元年従一位を授く。近郷八村の氏神とし、例祭 四月朔日。
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※「文徳實録」は、勅撰の歴史書「六国史」の第五、『日本文徳天皇実録』。
※「三代實録」は、勅撰の歴史書「六国史」の第六、『日本三代実録』。
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釜口 長岳寺
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釜口山 長岳寺 金剛身院
柳本の東にあり。弘法大師の 開祖にして、本尊は虚空蔵菩薩也。本堂の 傍 には 大師の 影堂あり。又、寶池あり。このほとりに、愛染堂 山中には 僧坊十所ありて、西の山頂に古城の跡あり。其 麓 に、千塚といふあり。戦死のものを 瘞む所と也。
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三輪社 大三輪寺若宮
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三輪山
一名 三諸山、又、神並山といふ。三輪町のひがしにあり。詞林葉抄曰、三室 神南火、神楽注秘抄曰、三室とは 神のやしろなり。
夫 三諸山は、孤峯 峻抜 して、林木青葱たり。これを 眺に 群山に 異也。山頂に 不動薬師地蔵の 三石の像あり。奥の不動といふ。又、弥勒石像、弥勒谷にあり。高六尺。
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※「詞林葉抄」は、南北朝時代に書かれた万葉集の注釈書『詞林采葉抄』。著者は由阿。
※「神楽注秘抄」は、室町時代中期に一条兼良が著した書。
※「峻抜」は、山などがけわしくそびえていること。
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三輪 一鳥居
続後撰
みしめ引 三輪の杉むら 古にけり
これや神代の しるしなるらん
為家
長者屋敷
古今
我庵は 三輪の山もと 恋しくは
とぶらひきませ 杉たてる門
読人しらず
※ 「続後撰」は、続後撰和歌集。
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三輪社 (神名帳)
大神大物主神社
名神大月相嘗新嘗三代實録曰、貞観元年正月授 従一位 二月授 一位 三十村民共 預祭祀古記云 大巳貴命平 定萬國 功績既 成 仍營建。宮殿 於日本國之三諸々山 就而居住 此 大三輪之神也。社 傍 有 一株ノ老杉 名 曰 験杉 。
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※ 「神名帳」は、神社とその祭神の名を記す帳簿のこと。神名帳。
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三輪社 久代 大鳥居の 額
神代の 文字と云云
長三尺一寸 横廣處一尺一寸七分
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玄賔菴
発心集曰、ならの帝の御時、大僧都になし給ひけるを 辞し申しとて読る。
三輪川の 清きながれに すゝぎてし
衣の袖も 又は汚さじ
玄賔僧都
飢食松花渇飲泉
偶従山後到山前
陽坡軟草厚如織
因與鹿■相伴眠 [■は鹿+米]
これは 唐の 銭起が 詩にして、其俤もこゝにうかみ侍る。
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※ 「玄賔菴」は、玄賓菴。
※ 「玄賔僧都」は、奈良時代から平安時代前期の法相宗の僧、玄賓。
玄賓説話と和歌
※ 「発心集」は、鎌倉時代の仏教説話集。
※ 「 銭起」は、唐の詩人。
※ 「俤」は、おもかげ、顔つき。
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新古今
駒とめて 袖打はらふ 陰もなし
佐野のわたりの 冬の夕ぐれ
定家
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※「定家」は、鎌倉初期の歌人、藤原定家。
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佐野渡
井蛙抄曰、佐野の舟橋、又は、佐野の中川瀬絶してなどゝよめるも上野國なり。又、佐野の岡とよめるは紀伊國、佐野のわたりは大和國なり。
源氏物語 に、薫大将うき舟にたづねそめたる所に、三条のたびのやどりに、大将いとしのびておはしたりとかく案内いはせ給ほど、やゝ久しく「さのゝわたりに家もあらなくに」など口ずさびて、さとびたるすのこのはしつかたに居給へり。
※ 「井蛙抄」は、南北朝時代の歌学書。
※ 「さとびたるすのこのはしつかた」は、里びたる簀子の端つ方。
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新古今
敷嶋や 高円山の 雲間より
光さしそふ 弓はりの月
堀川院
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※ 「堀川院」は、堀河天皇のこと。また、太政大臣関白 藤原基経 の邸を堀川院といい、円融天皇・堀河天皇の里内裏としても用いられました。
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礒城嶋 高圓山
三輪崎の 巽、赤尾山の東、瀧谷村にあり。
※ 「巽」は、南東の方位。
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初瀬寺
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泊瀬山
初瀬村の 上にあり。嶺めぐり 谷 幽 にして、山口翳す故に、隠口の 初瀬と呼ぶ。八雲御抄云、海士小舟初瀬山といへり。
詞林採葉抄云、隠口、隠口、隠口、隠江、先達 古訓かくの如く、區 なり。其中にかくらくは、字の 訓なるゆへに、尤 そのいはれあり。こもり江、更に相叶はず。若 うたがふらくは、口の字を 草にして 大きなるが 江に 混ずるか、所詮、此所は 山の口より入て 奥ふかき故に、篭口の 初瀬といふなるものを、大初瀬、小初瀬ともあり。
※ 「隠口」は、泊瀬にかかる枕詞。
※ 「八雲御抄」は、鎌倉時代初期の歌学書。
※ 「詞林採葉抄」は、南北朝時代の万葉集注釈書。詞林採葉抄。
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初瀬鳥居
泊瀬観音閣
泊瀬春雲五色間 観音高閣占名山
鈴鈴金策誰家客 三十三大次第攀
服元喬
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壬二集
紅の うす花 桜 ほの/\と
朝日いさよふ 小初瀬の山
家隆
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※ 「壬二集」は、鎌倉時代初期の私家集、藤原家隆の詠作を収めたもの。
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一鳥居は、初瀬町の入口にあり。額は、菅神述作し給ふ。本縁起の中の蔵王権現の真詞なり。隷書にして、安井御門跡道信卿の御筆なり。
功徳成就墜 諸佛経行砌
諸天神衹在 此山根威験
源氏物語
玉かつらの内侍、つくしよりはやふねにて京へのぼりけるに、しるかたなく、父おとゝにも いまだ申さず。又、源氏のおとゝもしり給はず。水鳥のくかにあかり、巣をはなれたる鳥のやうにて思しめし、かなしみける。かなしさのまゝ神仏に御しるべたのみ給ひて、先 初瀬へうちにて参仏に祈り申せば、かの右近はせにて参りあひ、たがひになのり給ふ。
その時のうたに
ふたもとの 杉のたちどを 尋れば
ふる河野べに 君をみましや
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※ 「菅神」は、天満天神。菅原道真の神霊。
※ 「安井御門跡」は、京都仁和寺の脇門跡。正式名称、蓮花光院。開創は、殷富門院(後白河天皇 皇女 亮子内親王)の御願によって仁和寺境内に建立された御堂。
※ 「道信卿」は、藤原道信。
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菅公神作霊文 曰
㘴瀧蔵権現於泊瀬河上其所勝地而往古以来
諸天影向砌也
脇於彼社有天
人所造之毘沙門天
王古人未辨其名
喚為天霊神矣雷
取登空之時御午
寶塔流而泊此山麓
三神里神河瀬此内
宿祢卜筮曰斯授天
徳表地榮也 云々 下略
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古今
はつせにて梅を
人はいさ 心もしらず 故里は
花ぞむかしの 香に匂ひける
宿からん 花に暮なば 貫之の
素堂
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※ 「人はいさ心もしらず… 」は、紀貫之の歌。
※ 「素堂」は、江戸時代前期の俳人、山口素堂。
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泊瀬小野は、初瀬里の西にあり。むかし、雄略天皇 六年二月、帝 泊瀬の 小野に 遊猟したまひ、山野のけしきを 叡覧ありてよみ給ふ。
日本紀 曰
こもりくの籠国、泊瀬の山はいまたちの今時也。よろしを山はあやに続うらぐはし麗也。あやにうらぐはし。
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※ 「叡覧」は、天子が御覧になること。上覧。
※ 「うらぐはし」は、心にしみて美しいこと。うら麗し。
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![](https://assets.st-note.com/img/1709480431781-1xkd92t8L3.jpg?width=800)
八尾里 鏡作社
鳥居の 内に 鏡池あり。俗に、神代の 鏡 を 鋳し時の 水也と云傳ふ。今は、水 涸て芝生となる。
堀川百首
みさひゐる 鏡の池に すむ鴛鴦は
みづから影を ならべてぞすむ
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※ 「堀川百首」は、平安時代後期、堀河天皇の御代に編纂された歌集。
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みづから影をならべてぞすむ
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夫木
逢事の とをちの里は 大和川
おもはぬ中に 有とこそきけ
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![](https://assets.st-note.com/img/1711886803691-lbElnXcabC.jpg?width=800)
※ 「夫木」は、夫木和歌抄。
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むかし、菟田郡に 押阪の 直といふ人あり。雪中より紫の菌を得て 食しければ、病もなく、壽も長く侍ける。これ、鬼谷子がいふ、瀛州の不死尊の ● ならん。
※ 「菟田郡」は、宇陀郡。
※ 「鬼谷子」は、春秋戦国時代の楚の思想家。縦横家のひとり。
※ 「瀛州」は、『史記』に記されている三神山のひとつで、三神山には仙人が住み、不死の薬があるとされているそうです。三神山は、蓬莱、方丈、瀛州。
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漆部仙女
![](https://assets.st-note.com/img/1711886844115-25gRKmVMXX.jpg?width=800)
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塗部郷
今、曽爾といふ。むかし、宇多郡 塗部郷に 風流の女あり。花顔蝉■ [■は髟+共] にして、一笑千金の 容色なり。是 すなはち、かの部内 塗辺 造麿 の 妾にして、七子を 産り。家 困窮して、食とぼしく、衣を 織るに 便 なし。藤を 綴り、日々 沐浴して 身を 潔し、綴を 絡ふ。日毎に 野に 出でて、菜草をとり、常に 家を 浄て、糸竹を 調べ、端座に 唱ひし 含情、恰 天上の 客の如し。
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※ 「糸竹」は、和楽器の総称。「糸」は琴・三味線などの弦楽器、「竹」は笛・笙などの管楽器。
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鶬山 中将姫
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![](https://assets.st-note.com/img/1711886911777-iqboRzeN3t.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1711110322357-FcBLQ27oeO.jpg?width=800)
日張山
又、鶬山と書す。宇賀志村にあり。山中に青蓮尼寺なり。鶬山 紫雲菴は、中将姫法如尼の 閉籠の地なり。それより傳へて、尼の 住院として、勤行 今にたへず。
抑、中将 局は、横佩 右大臣 豊成の 息女なりしが、継母の 讒にかゝりて、ひばり山に 捨られ、幽谷に 籠りて、命を草葉の 露にあらそひ給ひしが、父大臣、此山に 狩しありき給ふに、不意 對面して、故郷にかへり給ひぬ。
更に、厭離穢土の心 絶やらずして、當麻寺の實■ [■は巾+隹] 法師を師として 髪おろし、善心尼と申き。又、改名して 法如尼と申す。こゝに 庵を 結びて、紫雲菴と号し、佽求浄土の 外は 心にまたなし。終に、浄土曼荼羅をえて、往生の 素懐をとげられし也。酉曼荼羅抄。
※ 「横佩右大臣豊成」は、奈良時代中期の官人、藤原豊成。南家の祖、藤原武智麻呂の長男。
※ 「讒」は、そしる、よこしまの意。
※ 「草葉の|露《つゆ」は、草の葉に置く露がすぐ消えるところから、人の命などのはかないことのたとえ。
※ 「不意」のふりがな「ゆくりなく」は、思いがけなく、突然にという意。ゆくりなし。
※ 「厭離穢土」は、 仏語。煩悩に汚れた現世をきらい離れること。
※ 「佽求浄土」は、 仏語。極楽浄土を心から願い求めること。
※ 「素懐」は、かねてからの願い。特に、出家・極楽往生の願いのこと。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖