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東京名物百人一首(18) 谷中芋坂・焼団子/浅草今戸橋・濱金/愛宕塔/神田萬世橋(めがね橋)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

三條院
 爰らにも あらでつき拔 焼團子
    おいしかるべき 四ツの串ざし

【元歌】
  心にも あらで憂き夜に 長らへば
    恋しかるべき 夜半の月かな

※ 「爰ら」は、ここら。
※ 「つき拔」は、搗抜つきぬき団子のつき抜。念入りによくいた粉で作った団子のこと。

挿絵に描かれているのは、谷中芋坂の名物 焼き団子です。

谷中芋坂の焼團子は、東京名物のこれも一や。

『下谷繁昌記』によれば、文政年間に菜飯をだす「藤の茶屋」が始まりであるそうです。

羽二重はぶたへ団子(いも坂下)
文政圖に、「ふぢのちやや」と見えて、菜飯を売りし由。古老は今も尚、藤棚ふぢだなと云ふ。藤、今はなし。されど、明治元年より村民 澤野庄五郎なる者、名物の団子売り、今尚 羽二重団子とて名高し。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『下谷繁昌記

このお店は現在も「根ぎし芋坂羽二重團子」として営業されています。
根ぎし芋坂羽二重團子Webサイト「羽二重団子の由来」「文学作品と当店

参考:『竹の里歌全集』『子規の回想(芋坂團子)』『東京名物食べある記(日暮里、羽二重團子)』『下谷と上野』『下谷区史 〔本編〕』『荒川区史』『新聞集成明治編年史 第三卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

能因法師
 辛子からしすき 今戸に名ある 濱金は
    隅田の川の ほとりなりけり

【元歌】
  嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は
    竜田の川の 錦なりけり

※ 「濱金」は、浅草今戸橋にあった佃煮屋のこと。

挿絵には「濱金」のしおりが描かれています。

登録 浅草今戸橋 橋■  [■は阝+登]
本居 はま金
電話 下谷 四百六番

「本居 はま金」は本店(浅草今戸橋)のことで、本店のほかに雷門前並木に支店があったようです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『大東京電車交通案内 第1号

串にさして描かれているのは、「辛子からしすき」という替え歌から、唐辛子のしそ巻きだろうと思われます。

参考:『二十世紀之東京 第2編 日本橋区』『家庭辞書(しそまき)』『松屋筆記 第1(紫蘇巻并荏裹)』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

良暹法師
 涼しさに 山をのぼりて ながむれば
   愛宕もおなじ 夏の夕暮

【元歌】
  寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば
    いづこも同じ 秋の夕暮れ

挿絵には、愛宕塔の登覧券が描かれています。

東京
愛宕塔登覧券 (金四銭)

愛宕塔は、愛宕山に建てられていた洋館です。高さは95フィート(約29メートル)、東京市を一望できる人気の観光スポットであったそうです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京遊行記

愛宕塔
五層の西洋館にして、館中には日本名勝の写真を供へ、登客の縦覧に供す。高さ凌雲閣に劣らずして、東京市を瞰下みおろす事、地図をひらくに似たり。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京便覧

愛宕塔は、大正十二年(1923年)の関東大震災で被災し、焼失しています。

参考:『東京名勝古跡便覧』『各人必携百科節用』『三日間東京案内』『新撰東京案内鑑』『東京近郊遊覧案内』『東京遊覧案内』『東京便覧』『東京震災録 地圖及冩眞帖(芝愛宕山の愛宕塔焼跡)』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

大納言經信
 はいされる 神田のめがね おとづれて
   橋の名残なごりに 秋風ぞ吹く

【元歌】
  夕されば 門田の稲葉 訪れて
    あしのまろ屋に 秋風ぞ吹く

※ 「神田のめがね」は、明治六年(1873年)に架けられた石造りの萬世橋のこと。

挿絵には、「元萬(世橋)」と彫られた親柱が描かれています。

明治六年の秋、比萬世橋を架して、明治四十年に廃橋となれども、此橋、俗に神田のめがねばしと称して全國に知られ、東京の名物とはなれり。

萬世橋が架けられた頃の様子を『東京名勝図会』から引用してみます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名勝図会 上巻

萬世橋 附駿河台
須田町より下谷への通路にて、神田川にわたす。明治六年不用を転じて有益となし、元見附の石垣を毀ちて筋違すじかい橋と昌平しやうへい橋(此橋は、是より西の方に並びしなり。湯島の地に聖堂せいだう造営あり。其時、の昌平郷に擬しなづくと云)を廃し、其中央まんなかに幅六間、長さ十五間の石橋を架けらる。

造築の法、地震洪水のおそれを慮り、直ちに三丈下の下底なる地盤より石柱をたて、水際には双眼を開き、舟筏ふねいかだの便にし、橋上は康■たひらのちまた [■は彳+瞿+亍] に異らず。輿馬よば抵臅あたりさはりするなし。

成功百日を期して、八月中に落成す。府尹ふいん、不朽を祝して、萬世よろづよ橋となづけたり。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名勝図会 上巻

明治七年(1874年)、橋が完成した翌年に描かれた錦絵です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京神田萬世橋賑之圖

旧聖堂から見た萬世橋。橋の向こうに見える建物は租税寮です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京開化三十六景

こちらは明治九年(1876年)の明治天皇の奥羽巡幸の様子です。左に租税寮が見えます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション
明治九年六月二日奥羽御巡幸萬世橋之真景

こちらは神田神社の祭礼の一行が萬世橋を渡る様子です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京神田神社祭礼之図

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石造りの萬世橋は、明治三十六年(1903年)に新たに鉄製の萬世橋が架けられたため、撤去されます。その後、明治四十年に神田神社境内に建てられた彰忠碑しょうちゅうひ(日露戦争の戦没者追悼碑)の玉垣たまがきとして用いられました。

挿絵に描かれている親柱は「元萬世橋」と彫られているので、彰忠碑の玉垣を描いたものと思われます。現在も神田神社の境内に残っています。

参考:『逓信事業史 苐七卷』『東京市史稿 橋梁篇第一』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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