The Sword Story2
Edition P- Trinity Coward
大学教授トリニティ・カワードの自宅には埃を被った短剣がある。
ヘレナと見ていた時は黄金が輝き宝石が埋め込まれており、持ち手も宝飾品だったはずなのだが、今、どれだけ埃を払っても水拭きをしても、こびりついた土のような埃がとれてくれない。
ヘレナとトリニティは、協力して論文を書いていた。
ヘレナは何度か熱帯雨林に足を運び、今までの調査記録や地元の人々の噂話から「失われた森」を発見した。そこでヘレナはこの短剣を見つけた。
形状や材質から、短剣の制作時期を調べたのはトリニティだ。
それを元にヘレナは再度「失われた森」に行き、広い土地を細かく区切って地質を調査した。一方でトリニティは歴史書の記述と地図の変遷を丹念に調べ、地理の変化を丁寧に辿った。それらの全てから、「失われた森」はかつては王国であり、宝飾品の加工が盛んだったのではないかという仮説を考えた。
ヘレナは最後、もう少し手直しをしたいと言った。
「大丈夫よ、TT」
ヘレナだけが使うトリニティのあだ名を言うと、薄い鼈甲色の瞳できれいなウインクをした。
「付け足したい文言がちょっとあるだけだから。できるだけのことをして仕上げたいしね」
ハニーブロンドの巻毛をフワリと翻してトリニティの自宅から去ったヘレナはそのまま行方不明になり、気づくと埃を被った短剣があった。
あの時、この短剣を持って帰り忘れたのだろうか。だか短期間に何故こんなに埃を被ってしまったのだろうか。それに論文。結局、論文はどう仕上がったのだろう。
トリニティが新しく女子を受け入れることになった大学の教員になったのは、単に博士課程を卒業するような女性が他にいなかったからだ。
父は小さい地方都市の領主で母親はその都市に1つだけある学校の教師だった。人口自体が少ない都市であったため子どもも少なく、その1つの学校に小学生も中学生も通っていた。教師は校長と母親と養護教諭3人だけだったため、校長も養護教諭も授業をしているような、小じんまりとした学校だった。
ひとりっ子だったトリニティは、婿養子をもらい母の後を継いで教師になることを期待されていた。片田舎の人間としては珍しく都市部の高校に通い、女子大の教育学部に進学した。無事に卒業し母の後を継ごうとしていた矢先、それまで田舎にはなかった高校が作られることになった。そこでトリニティは、高校に箔をつけるため修士課程まで行ってくれと母親に頼まれた。マスターになればもらえる、最もランクが高い教員免許を取るためだ。
こうしてトリニティは、教員免許のためだけに大学院へ進んだ。修士課程の2年が終われば実家に戻り高校教師になる予定だった。
だが小中高一貫という珍しい公立校になった田舎の学校は、その2年の間に、貴族しか行けない私立上流校に対抗できる存在として名が売れてしまった。生徒が増え、それに伴い教師も増えた結果、何とトリニティが就職するイスがなくなってしまったのだ。
ちゃんと就職できるようにするからそれまでとりあえず大学院にいなさいということになり、博士課程に在籍する珍しい女性になってしまった。
競争相手があまりいないニッチな分野の研究者となり、博士課程の在籍要件を満たすためだけに論文を出し発表を行なって3年。やっと高校にも教師の空きが作れたというある日突然、大学教員を依頼する文書が来た。それもトリニティがいるような、身分構わず行ける中流大学ではなく、家柄と成績が伴わなければ行けない一流大学からだ。
大喜びの父親と母親に激励されて就職した大学には、だがトリニティの居場所も人権もなかった。今年から女子を受け入れることにしたから、大学教員の資格がありそうな女性なら誰でも良かったという態度が見え見えで、研究費も出なければ大学雑誌に論文も発表できず、授業を聞く男子学生たちは、若く爵位もなく女性であるトリニティをあからさまにバカにした。
だがその中で、いつも最前列で真剣に授業を聞く優秀な学生がいた。
それが唯一の女子大生、ヘレナだった。
背が低く童顔で自信無げな態度になってしまうトリニティに対し、いつでも背筋をシャンと伸ばし堂々と学内を闊歩するヘレナは大人びていた。ここまで流されるままにやってきたトリニティとは違い、柔らかい物腰の中にも折れない意志を瞳に宿し、何より優秀で聡明だった。
自尊心を少しずつ削りとられながらでも辞めずに仕事を続けていられたのは、ヘレナがいたからだ。トリニティとヘレナは誰も味方がいない中、支え合い庇い合いながら過ごした。
この子がこの大学を卒業することは、きっと社会に一石を投じることになる。
そう思ったトリニティは、今までビクビクして発言できなかった教授会でも発言し、年上の男性教授相手でも、間違いだと思うことがあれば反駁した。
ヘレナは新しい時代を導く女性になれると思ったし、ヘレナ自身も、社会的に話題になる研究成果さえ出せれば学会における女性の立場が上がり、優秀な女生徒がより大学に来やすくなると信じていた。
最初はただの興味であった2人の研究は自分達の立場を上げるという目標を経由し、最終的には、これからの女性たちのためという大きなゴールを目指すものになった。
未来のためにやっているのだと思うとどんな暴言にも耐えられたし、どんな無理でもできた。
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