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ヴァサラ幕間記15


6 青年ヴァサラと思念体

 そこは緑豊かな町だった。少年は少女と青年と共に叔父さんの店に行ってしまったので久しぶりに一人だ。三角の金の塔を見るために砂の雪原を目指していたはずなのだが、ここをどう進んでも砂漠とやらには着きそうにない。
 まあいいか、あいつ預けるとこ探すのが先だし。
 ひとまず今どこか確認しようと立ち止まれそうな場所を探している時、子どもがよそ見をしながらこちらに向かって来るのが見えた。ぶつかりそうだったので地図を開きながら少し体を避けたが、子どもが通り過ぎる気配がない。
 おかしいなと思い目をやってみると、子どもは驚いた顔で地図を見上げている。目が合ったヴァサラを見るとまた目を見張った。
 この子、俺のこと分かってるのか。
 こんな場所でこんな子どもが自分のことを知っているのはあまりに意外だ。声をかけようとすると、ハッと気づいたように後退りそのまま逃げる。
「ちょっと待てって!」
焦って声をかけると振り返った。しかし、子どもは訝しげな表情だ。
 あれ、こいつ、俺のこと知らないな。
 声を掛けたことを謝り再び地図を見ようとすると、目の先に万引き少年と少女が映る。
 少女を見て気づいた。
 ちょっと待て。この子さっきの子どもだ。
元の少女とは似ても似つかない強い目で、少女はヴァサラを見ていた。

 「お前なんでこんな所にいるんだ。国はどうした、国は」
そして今ヴァサラは、店の外のカウンター席のようなところで少女に説教をされている。ワインが有名なこの国は店さえ空いていればいつでも飲めるようで、周りにもポロポロ飲酒中の客はいるが、ヴァサラの席は大人一人子ども二人という目立つ組み合わせだ。そしてくだを巻いているのは飲んでいない少女であり、巻かれているのは飲んでいるヴァサラという奇妙な状況である。ヴァサラの横で「え、お前偉かったの?」という心底意外そうな顔で、少年がヴァサラを見ていた。
「いや、まずあんたのこと整理させてくれ。あんたはシネンタイってヤツで、本当は俺の国出身の学者で、いろんな人や物に入りつつ生活?してるってことで良いのか?」
「思念体のままで存在するのは結構大変なんだよ。できるだけ物に入るようにしてるが、たまには動きたくてね」
そんなの良くあることだと言わんばかりの返答に言いたいこともあるが、まずは少女に取り憑いている状態を何とかするのが先だ。
「とりあえず、その子叔父さんのとこ行かないといけないから出てやれよ。俺かこいつじゃダメなのか?」
急に名指しされた少年は「え、俺?」と、ギョッとした表情でヴァサラを見上げた。
「まあこの子でもいいが」と少年を見て、「お前は無理だな」とヴァサラを見る。「しかしこの少女はすごい。まるで憑座(よりまし)だよ」
役立たず呼ばわりされたようで微妙にショックを受けつつもヴァサラは気づいた。
「お前、物に宿れるんならこれどう?多分…これは強いというか、大丈夫だと思うけど」
差し出された地図を見た学者は、揺らいだ心を微かに表情によぎらせ、言った。
「うん…それもありだな」

 その気持ちの揺らぎをヴァサラは良く知っていた。強いて思い出さないようにしていた全てを引きずり出しそうなそれを、地図と一緒に何とか丸め込み、荷物にしまう。
それから少年の方に目をやると
〝これもうお前がやるしかないだろ〟
と目で訴えかける。
〝うわマジか、いやまあそうだけど〟
口ほどに物を言う目で少年も答えるが、
〝友達の女の子助けないとかないぞ〟
という気持ちを込めて更に目線を投げると
〝ああもう、わかったよ。やるよ〟
先ほどの会話中にある程度覚悟を決めていたらしき少年も納得した。

「しかし意外だったな。そう考えりゃあんたがあの子に憑いたのも良かったかもな」
叔父のところに少女を届けた後、無事に少年に憑き直した学者が答える。
「傍目には、ただ良く意識を失ったり病気になる子だとしか思われないからな」
学者が言うには、少女は体が弱い訳ではなく取り憑かれやすいだけと言うことで、そのために具合が悪くなったり倒れたりすると言うことらしい。
「そういう体質なのは仕方ないからな。自分で防御する術を学ぶしかない。あの叔父もあの子を宗教施設に預けるつもりになっていたし、まあ大丈夫だろう。才能といえば才能だな」
 会話がふっと途切れた瞬間、ちょっと逡巡してからヴァサラは聞いた。
「…あんたさ、騎馬の国で化石掘ってる女の人、知ってるよな」
あまり良い答えが返って来ない予想もついたし、聞かずに済ますこともできた。だが地図を預かる者としては聞いておかなければならないだろう。

 数秒の沈黙のあと、学者は答えた。
「…ああ」
重ねて問う。
「あれ、あんたの娘だろ」
 最初に地図を見たとき、さっき地図の話をしたとき、感じた気持ちの揺らぎは、国の友人が息子の部屋を見上げている時と同じだった。親というのは、そこに子どもがいようといまいとあんな風に思いを馳せるのだなと思いながら、ヴァサラはその姿を何度も見ていたのだ。
 学者はその問いには答えず、懐かしそうな笑みを浮かべると言った。
「…私が子どもの頃、マリア王妃はよく城下に出て私たちと遊んでいた。カムイ王子が生まれた時は、まだ小さかった娘と喜んだものだ」
学者は確かに視線の先に故郷を見ながら、続けた。
「私は国を愛しているし、王家を愛している。なぜこうなったかわからないままに、いつか王は分かってくれ、国に戻れると信じていた」

学者の言葉が心に巻きつき、グルグルと縛ってゆく。
土地があるから国なのではなく、自分は国民だと思う人間がいるから国であるならば。私は愛する国の国民なんだと、こんなにも言う人間を国に戻れなくさせたサコクとは一体何なのだろうか。
 そして何度も同じ場所に戻って来るのだ。
 サコクは、本当に必要なのだろうか。













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