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第三十九話

 ホテルグループ社長の親戚が結婚するらしい。今時珍しい盛大な結婚式をするようで、夏休み終わりかけの閑散期に、ホテルはなんとなくバタバタしていた。
 愛和はスイーツ関係が苦手なのを自覚している。なので自分からデザート部門の手伝いを名乗り出た。だがウエディングケーキに関わることになったのは想定外だ。
 五段ケーキの全側面に手書きでレース編みを描くことになっているのだが、それが本当に細かい。愛和はここ2日ほどレースを描き続けていた。
「無理だろこれ。終わる気がしない」
空になった何十本目かのチョコペンを投げ、愛和が言った。
「分かります。分かりますが、私たちはこれが終わるまで自由になれないんです!」
悲壮な覚悟をケーキの向こうから告げたのは、後輩の道場愛だ。
「俺ら一体何の罪犯したんだよ」
「そりゃ先輩のキャリアなら、スイーツ志望したらウエディングケーキに回されますよ。これがメインスイーツですもん」
 愛は先日の、秋の新メニューコンペで優勝を勝ち取った若手のホープだ。そして愛和と違いスイーツも得意なので、当然ウエディングケーキに回されている。

こんな模様描いてて、こんなケーキ作る参考例


 腕と心の限界を感じている愛和に、待ちに待っていたエネルギー源がやって来た。
「今、写真と動画いいですか?」
結婚式準備用に設置された特別キッチンに空知が顔を出す。
「私たちしかいないけど大丈夫ですか?」
と真面目に答える愛の一方、愛和は空知の元へ飛んで行き背中に抱きついた。
「やっと来たー!空知〜〜」
空知はしゃがんでカメラのレンズを変えながら、背中の愛和に話しかける。
「ケーキ大変なのか?」
愛和は空知の背中にダラリと体重をかけながら答えた。
「もう腕が死ぬ。右腕揉んで」
「これだけ職場でベタベタしてる職場恋愛者も珍しいですよね」
言いながら愛がやって来る。
「先日は両親の店に来てくださってありがとうございました」
礼儀正しく挨拶をすると、
「さ、行きましょ。休めば休むほど終わるのが遅れるんです」
愛和を空知から剥がし、引っ張って連れて行ってしまった。
「鬼ー!悪魔っ」
空知は、どこかで聞いたことのある愛和の悪態を聞きながら
 あれ。あいつ、この中で一番年上だよな。
と、何の威厳もなく引きずられて行く先輩社員を見守っていたのだった。


 玄関を開けると、「弥幸お帰りー」と星陽の声がした。
それは別に問題ないのだが、どうも口調がおかしい。
 部屋を覗くと、酎ハイの空き缶がいくつも転がっていた。
「飲んでるのか?」
聞いた弥幸に、星陽がヘラっと笑って答える。
「買ってきたジュース飲んだら酒でさぁ。それが美味くってさー。すっげえ買っちゃったぁ」
転がっている缶の中から探り、一本を弥幸に渡しながら言う。
「ほれ、まだまだあるぞお。お前も飲めよー」
売った店員も友達同士で集まってるとでも思ったのだろうか。本当にまだまだある。
「いや、俺はいいって。今から勉強するし」
「何だよ冷てーなー」
えいっ、という掛け声と共に、缶を拾っている弥幸に抱きついた。
「おらー、恋人かまえー。もー寝かせねーぞー」
「いや、お前はもう寝ろって」
と引き剥がそうとしている内にバランスを崩し、押し倒される形になってしまった。
「こいつ、誘ってんなー」
満面の笑みで言ってくるのに弥幸は抵抗する。
「だから違うって!」
ちょっと強めに言ったら笑顔がしゅんと消え、弥幸の胸にコテンと抱きついてきた。
「…俺だってさ、ずーっとずーっと我慢してんだよ。…帰って来たらいっつも勉強ってさ。…いつ仕事から帰って来るかなって1日中1人で待ってんのに、寂しいじゃんよー…」

こんな感じの星陽くん(byなのはな様)


 …そうか。夏休み中だから授業ないもんな。
いつも以上にバイトを入れている弥幸は夏休み中は忙しい。なので大学がある時と同じ感覚で生活をしていた。だがバイト禁止にしている星陽は、1人で過ごしている時間が格段に増えている。
 顔だけこちらに向けた星陽が言った。
「なあなあ。俺もバイトして良い?」
ちょうど見上げる視線になっているのがずるい。心が揺らぐ。
 や、でもこの可愛い星陽がバイトにでも行こうもんなら、仕事仲間や客から誘われて大変なことになるしな。と心を強く持ち直す。
 星陽が弥幸の頬のタトゥーを指でなぞりながら言った。
「俺さあー、バイト代貯まったら、弥幸みたいにタトゥー入れるんだー」
ニコニコと笑って続ける。
「弥幸しか見えないようにさぁ。背中んとこ」
…可愛すぎるよな⁈
 持ち直した心がガラガラと崩れる。
「…考えとく…」
崩れた心を何とか半分くらい補修して答えたが、バイト禁止令を撤回する日が近い予感がする弥幸だった。


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