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「はじめてあいみょん沁みた」

「愛を伝えたいだとか」しか知りません(小西さんが歌ってたから)。野花紅葉です。

曲の何を聞くかというのは色々あり、わたし自身も歌詞のない曲を聴いたり使われている楽器が好きでその曲を好んだりするのですが、まあほとんどは歌詞です。わたしの場合。

プレイリストを眺めてみると過去や現在の自分が好きだった曲たちが整列しているわけで、「あの時この曲が好きだったな=この歌詞が沁みていたな」と思うことは、あの時の精神状態や思考や感情を知ることとかなり高い確率で結びつくのですが、あいみょんの歌詞(図らずもタイムリー)はその対象になったことはないのです。ないのです、が。

「はじめてあいみょん沁みた」

沁みて〜〜〜〜〜〜〜のよ。

いや別にあいみょんじゃなくてもいいんだけどね全然。わたし、自分が面白がらないことを面白がっている人に対しての嫉妬心がすごくて、「そんなもん好きとかセンスないっすね😅」みたいなマウントとるやつの意味がわからないくらい、「わたしもそれ面白がりたいよう」ってなるんです。

だってだって、世の中には死ぬほどの感性があるのに、それらを認めたり味わったりするには、人との出会いも自分の器も有限じゃないですか。まあそれに優劣つけたくなる気持ちというか、獲得した自分の感性の優位性を信じたくなる気持ちもわからなくはない(なぜなら悔しいから?わたしはそう解釈している)のだが、あらゆる感性を持って世界に立ち向かえたら戦いやすくなる気がしませんか?何かを否定してしまいそうになったとき、肯定まではいかなくとも、それを完全に排斥せずに留め置いておくことができたら、自分にも他者にも世界にももっと注意深く接することができる気がするのです。

つまり……この言葉はよく行くバーの店長が数年ぶりの恋について語った時の言葉で、その店長は40歳なわけですが……いつか沁みちゃうかもしれないものを断じるのがこわい、という話でした。あいみょんは24歳のわたしには沁みませんが、40歳のわたしには、あるいは。

追記:今日、余人会『ヴィヴィアン・ブルー』観劇前にこのnoteを書いていたのですが、なんと今回も小西さんの歌唱シーンがありました。鬼束ちひろを歌ってた。沁みてえ〜。

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