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#深夜の下書き供養 ① 「すっごいちっちゃいカツ丼が売ってたらいいのにな」

ゲロ止まりました。野花紅葉です。

Twitterのハッシュタグ  #深夜の下書き供養 でnoteを書いてみたいな〜とずっと思っていたので、そのようにします。ゲロは止まってもやっぱりまだ色々ぐるぐるしているので、新たに言葉を紡ぐのではなく過去の自分の言葉に頼っちゃおうかなと。

まあ、とはいえ、これで何をどこまで膨らませられるかは不明ですが……

「すっごいちっちゃいカツ丼が売ってたらいいのにな」

有り余る認識しきれぬほどの幸せが、相変わらず魅力的に映ることは否定できないけれど、やっぱり最近の学びに「認識できる幸せの種類と幅が増えたな」というのはあり。これで言えばなんだろう、きゅうりとかそのまま食ってもちゃんと美味いじゃん、って思えるようになったのかな。

でも、きゅうりを美味しくいただけるようになっても、カツ丼も食べたいんだよな全然。しかし毎日は食えないし、きっと毎日食ったら胸焼けするし、飽きる。だったら、毎日食えるサイズのカツ丼が日常にあれば良いのになあ。わたしは今なんの話をしているのですか?

「幸せ」の難しいところって、ちゃんと慣れちゃうことなのかもしれない。そして慣れないくらいのちょうどいいサイズ感の「幸せ」って、実はそんなに都合よく身近にいてくれないのかもしれない。恒常的に存在し得ず、したところで、きちんと認識してしっかり享受するのは、難しいのかもしれない。

適度に欲張りつつ、適度に満たしつつ、適度に我慢しながら、適度に幸せであるのは、現実的に思えるけれども非常に困難だ。少なくともわたしにとっては。欲張るだけ欲張った挙句全く手に入れられないどころか人を不快にしたばかりのわたしには、そう思えてなりません。

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