「ただ今日も愛されたなと思いながら寝たいだけ」
だけ、と言いつつ、いかに難しいか。そしてそれは世界のせいだったり自分のせいだったりする。
散々書いているように(例:①②)眠るのが下手なわたしだが、最近は限界まで文字を書いてから横になっているので大体30分以内に寝つけている。これは「今日という日を終えることを勘弁してやるか」という自己肯定・受容によるものだと思っている。
自分で自分を許してやるのが苦手なくせに、いやむしろ、苦手だからこそ、他者や世界からのそれを欲してしまう。羨望や渇望がある。許し許されることが愛だとして、それを自家発電して循環させていくのも立派で困難な行いだってよく思い知っているつもりだけど、他者や世界を巻き込んだやりとりを、やっぱりどうしても願ってしまう。
だけ、と言いつつ、いかに難しいか。他者や世界を巻き込むことは仕組み上当然で自然なことなのに、あらゆるネガティヴな可能性も間違いなく孕んでいるから。その上で、「マシ」ではないポジティヴな可能性だけをどうしようもなく欲してしまうから。叶わぬのならだったら一人で、なんて言えないから。
でも、それでも、ただ今日も愛されたなと思いながら寝たい。そして、寝かせてあげたい。願っている。
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