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言葉にできないことなんてない、というマインドの上で、言葉にできなくなりたいのだ

わたしは言葉にするのが好きで、大学時代の同期から「なんでそんなに言語化したがるかわからない」「言語化の鬼かよ」と言われていました。立派だ聡明だと褒められているわけでは決してなく、むしろ言語化という工程を踏まなければ認識できないことがあまりにも多いという意味で、悲しきモンスターとしての地位を獲得していたのです。たぶん死ぬまでモンスターだと思う。

だから、「言葉にできないことなんてないはずだ!」というのがモンスターの矜持(?)であり、わたしがnoteや脚本を書くときのマインドでもあります。言葉にできないことだってたくさんあって無言の時間に豊かなものがあるのかもしれないけど、それが、言語化という工程を踏まねば世界のほとんどを認識できぬわたしの、生活態度とでも言うべきものなのよ……まあでも、言葉にできなくなりてえんだよな!!!!

急にぶっ壊してごめん。でもそうなの。でもでも、それでも言葉にできなくなりたいの!

言語化しないと世界を認識できないと思い込んでいるわたしの憧れは、そのある種プライドを持っている自分の言語化の能力やスピードが追いつかないほどの何か。名前をつけて理解した気になるという傲慢さの通じない自分の感情、なんなら感情自体でなく感情が駆け巡るスピードすら自分で説明できないような、そういう感情が巻き起こっている状態の自分に、ひどくひどく憧れている。まあそれが嫌な感情だった場合マジで最悪なんだけど言うまでもなく。

わたしが恋に落ちるときがまさにそうで、あらゆるステータスにそんなに興味がない=選考における要件があまりない自分は、何も言語化できぬままに他者と恋人となり、しかし好きになってきました。言語化の鬼(笑)のはずなのにどうして……と長らく疑問だったものの、最近恋人ができた前述の同期との恋バナで気づいたの。わたしは人に恋愛するとき言葉にできないことなんてない、というマインドの上で、言葉にできなくなりたいのだと!

で、それではどうしたら恋ができるようになるのかは、言語化できぬのでわからないままです。ああ歯痒い。だからわたしは言語化が好きなのだ。

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