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おウワサはかねがね その47「外見は自意識の一番外側?」

「おウワサはかねがね」は、お互いの「ウワサ」だけは知っている波多野伶奈(俳優)と野花紅葉(劇作家)がnoteを通じてやりとりする企画です。会ったことのない2人の関係はどう変化するのか、2人が本当に会う日はやってくるのか(※11月ついに会いました)。毎月0のつく日は野花紅葉、5のつく日は波多野伶奈が更新します。

前回のおウワサはかねがね【その46(11月25日)】

ちゃんさんへ

明日から12月ってマジ!?!?!?無理すぎですね。無理なので好きな曲をはります。公式音源がゲキ短いものしかなかったのですが……それにしても『日本の恋と、ユーミンと。』っていうアルバム名すごすぎませんか?


さて、前回から「外見は中身の一番外側」説についてお話ししていますが、2000字書いた10日前から考えたりちゃんさんのお返事を読んだりして、今回自分なりにまとめてみました。が!不安だ〜、言ってることめちゃくちゃにならないかな……。

結論から言えば、わたしはどちらかというと「外見は自意識の一番外側」だと思っていて(日本語おかしくない?)。そもそも「中身」の定義ふわふわすぎるだろというのもあるのですが、ここでは自認しても意識もしていないのも全部ひっくるめた自分=「中身」、そこから抽出した辛うじて自認・意識できるほんのちょっとの絞りカスみたいな「自意識」。そして、自認している自分で他者にされたいと願うとき、他人の目に真っ先に晒され認識される「外見」によってそれを達成するのが最も合理的なのかもなあ、と思うのです。のです、が。

しかし!ん〜。

突然ですが、わたし衣装決めが死ぬほど苦手で。基本的にどうでも良いな〜って思っちゃうんですよね。作品を作るときはノイズを減らすとかある程度キャラの提示は必要だと思うので、もちろん頑張るんですが、でも「頑張る」なんです。多分それってフィクションじゃない自分の生活において「外見は自意識の一番外側」だと思う・思われることが好きじゃないからなんだと思います。

「中身」なんか自分でもわかんなくて、だからせめて微かにわかる「自意識」の範疇で必死に生きていて、でも「外見」(今更ですが「外側」の方がしっくりくるかもしれません)で「中身」まで他人にわかられた気になるならせめて「自意識」で止めときたい、という、自意識……。自意識が異常に過剰なのも自認しつつ。

ただ、書いてて思いましたけど、全員がこの思考なわけないのに、わたしは人を見て「この人のこう見られたさ」(=この人の「自意識」)を勝手に判断してしまっているような気がしてきました。それはもう見た目だけの話じゃなくて、プロフィールに書いてある好きな動物とか。本当に好きなだけかもしれないのにね。ああ〜ダメでは……?そして逆に、こういう思考だと自分が本当に好きなものとかもわからなくなってくるんですよね。本当とは?自分が認識していない本当は本当に存在しているのか?

……「まとめました」と言った割にまとまらず、最後はなぜか反省&弱音になってしまいました。もしかして文章グダグダ回になってしまったでしょうかという不安がやばいです。

あ、お会いして変わったことを発見してしまった。無責任に逃げづらい!今もちゃんさんの困った顔が浮かんでいます。しかし……逃げます!その50を目前にこんなにまとまってない文章を投げてしまうことをお許しください、ごめんなさい!!!そして、小屋入りおつかれさまでした!

ノハナ

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