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あの人に見えなくて、あなたには見える

 「うるさいわブス」だったか。「お前ほんまブスやな」だったか。
 言われたセリフが何だったかはもう忘れた。とにかく、面と向かってクラスの男子にブス呼ばわりされた。あれは、中学の何年のことだっただろう。技術の授業中だったのを覚えている。私は、はんだごてを握っていた。

 小学生までは大人しかったのに、中学に入って急激に「我の強さ」を発達させていた当時の私。もし誰かに「ブス」と言われることがあったら、相手が誰でどんな顔であっても、言い返すと心に決めていたセリフがあった。

「は?お前の顔に言われたないわ」

 心の準備があったおかげで、軽く動揺しながらではあったものの、間髪入れずにそう打ち返すことができた。けれども正直なところ、相手に「ブス」と言える人間にその程度の球を打ち返したところで、大したダメージを与えられる自信はなかった。また次のカウンターが来るのだろうか、ブスを連打されたらしんどいぞ、と、私ははんだごてをギュッと握り身構えた。

 でも、何も返ってはこなかった。彼は顔を真っ赤にし、しどろもどろで何かを言っていた。明らかに動揺していた。
 なぁーんだ。
 はんだごてを握る手の力が抜け、そのとき私は悟った。自分の顔を気にしてコンプレックスに思っている人間ほど、ブスだのなんだのと言いやすいんだな、と。実際、私と彼のやり取りを横で聞いて困り果てていた男の子が、その場で一番美形だった。

 とまあ、そんなエピソードが出てくるくらい、私は一般的に「かわいい」や「美人」と言われる顔立ちをしていない。おにぎりみたいな万年むくみ顔である。
 しかしながら夫は、私のことを「かわいい」と言う。始めの頃は、「そう思い込みたいのかな」とか「気を遣ってるのかな」とか「視力が低すぎるのかな」などと思っていたのだけれど、付き合いが長くなるにつれ、いよいよこれは本気で言ってるぞ、と理解せざるを得なくなった。

「かわいい」とは、何だろう。国や時代によって基準が違うだとか、結局は主観の集合体でしかないだとか、言い出したらきりがない。
 だけど私は、絶対に絶対的な「かわいい」を知っている。そしてそれは今、うちの寝室で眠っている。そう、1歳半になる娘だ。

 赤ちゃんの暴力的なかわいさと言ったら、ない。なにしろ、そのかわいさでもって我々大人をかしずかせ、身の回りの世話をさせるほどなのだ。なぜ、人間に「かわいい」という感覚が備わっているのか。その根源はきっと赤ちゃんにある。

 素直で、小さくて、穢れを知らない赤ちゃん。赤ちゃんがかわいいから、私たちは助けてあげたいし、守ってあげたいし、優しくしたいし、構いたい。そうして赤ちゃんは、社会の中で守られ育っていく。

 つまり逆に言うと、「守ってあげたい」と思われたければ「かわい」くあればいい。だから皆、「かわいい」を欲する。たくさん「かわいい」を装備していればしているほど、赤ちゃんと同じように「守られやすく助けられやすく」、社会で生存しやすくなる。

 しかしここで、小さな矛盾が生じる。赤ちゃんのように「かわい」くあるためには、「素直」である必要がある。しかし、意図して「かわいい」を装備しすぎてしまうと、「素直」ではなくなってしまうのだ。
 そしてこれに敏感なのが、うちの夫である。

 化粧の濃い人。ぶりっ子。計算高さ。
 「ウラオモテのありそう」なものを一切「かわいい」と見なさない。夫の判断基準は、女の私から見てもなかなかのシビアさを誇っている。

 夫に、「かわいいもの」について尋ねてみたことがある。犬や猫、キャラクター、および「ゆるキャラっぽい私」の話は出てくるものの、「アイドル」が一切出てこない。そのことを指摘すると夫は、「だってアイドルは、ウラオモテそのものやん」と言った。「でも二次元はさ、そういうキャラ設定やから。ウラオモテとかないから。だからオッケー」

 そんな夫は、「かわいい」を探すのがうまい。
 ゴミをまとめて出しに行ってくれる夫に「ありがとう」と言ったり、夫の作ったご飯に「美味しい」と言ったりする私にむかって、「そういうところがかわいい」とよく言う。いやそんなことを言い出したら、いつもいつもマメにゴミ出ししてくれる夫が「かわいい」のであって、その「かわいい」は元はと言えばあなたの「かわいい」なんですよ?と私は私で思ったりするが、話が長くなって夫がゴミ出しに行きそびれ、それによって部屋にゴミの臭いが充満するのであえて口には出さない。
 ただ、「あ、そう?」と満更でもない顔をするのみである。

 私はもともと、「かわいい」とは縁遠く行きてきた。背が高くガタイがよく、姉御肌に見られがち。別にそれで良かったし、ずっとそうやって生きていくのだろうと思っていた。

 けれど八年前、「ウラオモテのあるかわいい」に見向きもしない夫に出会ってから、自分の中のあらゆる側面に「かわいい」というラベルが貼られ続けている。私はそれを「かわいい」と呼ぶことを知らなかったし、いまだにそれが「かわいい」というラベルで本当にいいのか、疑問に思うことも多い。

 しかし、少なくとも私は、夫の言う「かわいい」以上に嬉しい「かわいい」をこれまで聞いたことがないし、この先もきっとそうに違いないという確信がある。彼の言う「かわいい」こそ、私の愛する「かわいい」にほかならないのだ。


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 「かわいい」、難しかったです。
 機会をいただきありがとうございました。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!