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人形の家

大正~昭和初期くらいが舞台の
ドラマなどの演劇のシーンで、
必ずといっていいほど演じられるのが、
この「人形の家」です。

演じられる場面も、いつも全く同じ箇所。

なにか

真の自立に目覚めた女性が、
家庭から、
そしてその時代の
当たり前の枠組みの中から
飛び出して生きていこうと
決心しているらしい

そんな場面。


あんまりよく出てくるので気になって、
はじめて読んでみました。


とはいえ
そのシーンが劇中最大の山場だろうことも、
そこからだいたいどういうお話なのかという
ことも、なんとなく察しがついていました。


それでも、
やっぱり実際に読んでみると
驚きや発見や、
感じ方もいろいろなんだなあ
ってことが見えてきて、おもしろいです。


まず、劇中の女性・ノラさんが
あのシーンから想像していた印象とは
全く違ったのが驚きでした。

なんとなく、
いつも暗い表情をしていて、
我慢に我慢を重ねてきたような女性を
想像していたのです。

でも実際のノラさんは、
活動的で少女のような愛らしさをもつ
とても華やかな女性。

何も思い悩むことなどないがゆえの、
愛らしさと楽しさで
お人形のように愛される。

少なくとも、作中の誰にも
そう見えている女性。


しかし本当には、
大きな秘密をひとり抱え、悩み、恐れている。


そしてそのことをきっかけとして、
自身が本当に生きる道へと
舵をきっていくことになります。


いままでどおりの生活を続ける選択も、
充分可能でした。

けれども、
彼女はその道を選びませんでした。

起こったひとつの事件によって
目が覚めたように見えていたけれど、
本当には、
周りや彼女自身が思っていたよりも、
彼女には世界がしっかりと見えていたし、
いろいろな物事をちゃんと感じていた。

“ 間違った扱われ方 ”をされてきたことも、
そしてそれに少なからず、
自分自身も加担してきたことも、
わかっていた。


本当はちゃんと知っていたことを、
事件によって確信しただけ。


なので
そうして読んでいた私のなかでの
あの最後の場面は、
テレビで女優さんの多くが
演じるようなふうではなくて、
もっと静かな場面でした。


私に見えていたのは、

重い荷物をやっと下ろして
ほっとしたような、
よけいなものが
すべて剥がれ落ちたような、
舞台を降りた素顔の役者のような
どこか虚脱した、
しかし晴れやかな表情と声で、
静かに淡々と心の奥から言葉を紡ぎ、
語るノラさんの姿でした。

穏やかな、
けれどもかたい決心を秘めた澄んだ瞳で、
正面からひたとヘルマーを見つめながら。


人形芝居をやめて、舞台を降り、
本当の自分の姿で生きていくことを
決めたノラさん。

それは
いつの時代に生きていても、
とても勇気のいることです。


ましてや100年以上前の時代では、
不安も困難もいかばかりかと思います。

けれども、
私はノラさんの未来に
とても明るいものを感じました。

そして今を生きる、
いろいろな国、年齢、性別の
たくさんのノラさんの未来にも。


ヘルマーの言った意味とは違うけれど、



“ 私は信じるよ ”




********************

ちなみに、いろんな出版社から
出ているようですが、
やっぱりみんな台本みたいな
感じなんでしょうか?

青空文庫は
もうほんとに台本だったんですよね。

しかも旧かなづかいだったので
それが伝染ってしまって、
思ってることが今日は旧かなでした(笑)

~でせうか、~でせうね
みたいな😅



人形の家 / ヘンリック・イプセン
(青空文庫)

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