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わたしの食人生

幼少期は小さな小さなハンバーグを2時間かけて食べるような子だった。
それでもそんな時期はすぐに過ぎ去り、ホールのショートケーキの苺を全て食べるという暴挙(それも弟の誕生日)や、海外に住む叔母が帰省した際に用意された折に入った雲丹を、自分の為ではないという事実に打ちのめされて大泣きする(悲しすぎて今でも記憶にある)など、昔からかなり食に対して貪欲だったように思う。北海道という立地もあり、幼い頃から毛蟹や雲丹、牡蠣にいくらといった海の幸がよく食卓に並び、祖父母の山や畑で採れた野菜をその場でもぎってかじるような環境だった。片方の祖父は海川専門、釣り好きで鮭やわかさぎを釣りに行っては捌き、時期になるといくらも食べさせてくれた。もう片方の祖父は山専門、山に行っては落葉というキノコ(酢漬けにして大根おろしで食べると絶品!)や山葡萄を採ってきたり、銀杏を拾いに行ったり、椎茸を原木栽培したり、トマトにブルーベリーに苺にとうもろこし(北海道ではとうきびって言うのよ)に大根、スイカ、胡瓜、茄子、じゃがいも、枝豆。畑で食べる採れたての青くさいトマトの味は、スーパーのそれとは全然違う。それらを料理上手な祖母が美味しく調理する。トマトはトマトジュース(濃厚で美味しい〜)に、ブルーベリーや苺はジャムに、山葡萄はワインに。季節の手仕事もかかさない。梅干し、味噌、らっきょう、三升漬け、あんこにおはぎ、漬物、正月は飯寿司、餅つき、どれも甲乙つけ難い程に美味しい。お婆ちゃんの作る梅干しはすっぱくって、料理に使ってもキリリと冴える。味噌は赤味噌。三升漬けは北海道の郷土料理で、南蛮と麹と醤油を漬けたもの、その年の南蛮によって辛さが違って、つんざくような辛さの時もある、ご飯に合わせても良し、辛い年はお肉を漬け焼きにしても良い。どんなに有名な和菓子屋でも、お婆ちゃんの餡子にかなうものはないと思っている。餡子をたっぷり使ったおはぎと蓬餅は絶品で、比喩なしで何個でも食べられる。蓬は祖父がとってきたり、近所の知り合いがお裾分けしてくれたり、新鮮なものを使っているのでよもぎが強く香る。おもたせとして有名な向島の志”満ん草餅の香りそのままに、キメや大きさをもう少し荒っぽくしたようなお婆ちゃんの蓬餅。白い四角いタッパーにところ狭しと詰め込まれたおはぎと蓬餅のことを考えるだけで堪らない気持ちになってきた。正月毎年楽しみにしている飯寿司は、鮮やかな紅鮭で作る。柔らかな紅鮭とアクセントになる細切りの生姜、歯応えのある大根と人参の美味しさは、正月のめでたさと合わせてなんとも幸福である。そしてもう一つ楽しみにしているのが、飯寿司を作る時に余った紅鮭で作る鮭寿司。大葉と胡麻、レモンと酢につけた紅鮭を酢飯に混ぜて、海苔で巻いて食べる。美味しい鮭が北海道に比べて少ない東京でも、道産の鮭フレークで手軽にオマージュする程大好きな料理!両親共に共働きで、祖父母宅で過ごすことが多かった私の食のルーツは、確実に祖父母宅にある。

北海道は素材の美味しさがピカイチ。どこに行っても美味しいの代名詞として「北海道産!」がデカデカと掲げられているし、ある程度信用もしている。北海道うまいもん市の類のものには必ず行く。(六花亭のチョコマロンとひとつ鍋は絶対買う!)上京する前は、食べ物は北海道にかなうもんかと思っていた。けれどすぐにその考えは覆ることになる。

初めて行ったデパ地下のショーケースの煌めきを、私は一生忘れない。4月、「東京」という土地に興奮し、足取り軽やかに訪れたデパ地下で、オードリーの生菓子を買った。ルビーという名にふさわしく、キラキラしたゼリーに苺が入った三角錐のお菓子に、オードリーというチョコと苺を合わせたお菓子。春特有の爽やかな暖かさを感じながら、家に帰って箱を開け、ルビーを手に持ったあの手のひらの煌めき。まるで女児に戻ったようだった。昔集めていたクリスタルの煌めきを思い出した。そこから私は、食べログ百名店やSNSで美味しそうなお店を見つけては行き、新しい味を知ることに夢中になっていった。

開店前のお店に一番に並ぶのが好き。食べたいもののためなら待つことも、早起きも全く厭わない。pathのチェリーパイを食べる為に4時に起きたし、アマムダコタン表参道のオープン初日は雨の中3時間前に並び前から2番目だった、赤福の限定販売も一番前。ショーケースに次々と整列していくケーキ、焼き菓子、パンを前屈みになって眺め、店内から香ってくる匂いに期待感を高められる。SNSをチェックして、何を買うか計画を練る待ち時間がいっとう好き。アマムダコタンに行くなら明太ペペロンチーノバケットとピスタチオクリームパン、隠れた名品のじゃがチーズは大好きだから2つ、あとは惣菜パンも惹かれたものをひとつ、栗とチョコレートのルヴァンは冷凍するからいくつあってもいい(大抵すぐに食べてしまう)、いくら綿密な計画を練ったとしても、いざ並ぶ珠玉のパン達を目の前にすると、予定外のものもトングで鷲掴んでしまう。何度行ってもアマムダコタンはパン界のディズニーランドだと思う。

お買い上げしてから、持ち帰る時の手元の重量感も堪らない。ああこれぞ幸せの重み。スキップして帰りたいぐらいの高揚感だけれど、大事なお菓子達が崩れてしまうから、帰りはゆっくりゆっくり、大事に赤子のように抱えて帰宅する。買ったお菓子に夢中になりすぎて、忘れ物にも要注意。(アマムダコタンの帰りに2回傘を置いてきた)そして何より私が一番好きなのが、包みや箱を開ける瞬間。焼き菓子の入った紙袋は白だったり茶色だったり、ところどころ油が染みていたり、物によっては窓がついていたりする。ガザっとした紙袋を開けて、中に閉じ込められていた焼き菓子の香りがワー!と解放されて、紙袋の無機質なパルプの匂いと混ざる。箱だと、崩れていないかドキドキしながらも、開けた時に閉じ込めた時そのままの御姿を保っている感動といったらない。スタンディングオベーション。大好きなお洋服もその時ばかりは脱ぎ捨てて、一番合うお皿を出し、お茶を沸かしている間にそのままの御姿で写真に収める。正直私は写真はあまり得意ではなく、適当かつ早々にバシャバシャと何枚か撮って、それまたケータイを投げ捨てて、しっかりいただきますを声に出してからフォークやスプーンを入刀し、口に突入。幸せ以外の何者でもない。世界で一番とは言わないけれど、少なくともこのマンションで一番幸せな自信がある、いやなんなら町内まである。市内は自信ない。

食べるのも好きなように、作るのも大好き。dancyuや長谷川あかりさん、榎本美沙さん、おりえさんのレシピが好きでよく作る。仕事終わりに作るのに丁度良く、食べたいをくすぐられるレシピが多い。作っている間は料理のことだけを考えていられるから、自分自身整っていく気がする。来年引っ越したらオーブンレンジを購入するので、かぼちゃの丸ごとプリンを作ると決めている。

毎日毎日、毎食毎食。食べるために生きていると言っても過言ではない。朝食を食べるために起き、昼食を食べるために働き、夕食楽しみ!の喜びと共に退勤する。そして夕食が終わると、「今日も食べ終わっちゃった」と寂しさに駆られる。毎日何を食べようか考えているし、週末の連休では何を食べようか、食べたいものや行きたいお店をリマインダーに貯めて、1ヶ月の予定を立てておく。欲張りゆえに、その最寄駅周辺で他にも寄れるお店がないかどうかを調べては新しい味を開拓する。初めて食べた時は美味しく感じたものも、その時の感動を感じないことも時々ある。寂しいけれど、私の舌もどんどん進化していっているに違いない。

今日もまた、私の膝からはさっき買ったばかりのサンデーベイクショップの焼き菓子と亀十のどら焼き(白餡)が紙袋と箱に包まれ、香ばしく香りだっている。この車両内で一番幸せな自信がある。

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