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全日本プロレスの持つ空気とその熱量〜正解と好きの違い〜

※この記事ははやしげという一人の全日本プロレスファンのものであり、ファンの総意でもなんでもありません。なのでこの記事の内容をもとに他の方を殴ることはおやめください。


さて外敵の侵攻に揺れる23年の全日本プロレス。その状況についてSNS上では様々な意見が出ています。その中なは「旧来の全日ファンと新規の全日ファンの意見の相違」もありました。旧来とは異なる流れになりつつある全日を是とするか?否とするか?そんな論点ですね。

ではそもそも旧来の全日の流れとはなんでしょうか?端的に言えば「大型選手がぶつかりあって最後にエース宮原健斗の発する全日本プロレス最高!で締められる世界」です。

今の全日にとって宮原とは全日本プロレスそのものです。ベルトを持っていようが持っていまいが関係なく団体の象徴であり。それを否定するファンがいない。複数スター制をとる団体では特定の選手の立ち位置が良くなれば、他の選手のファンはそれを否定的に見ます。しかし全日ではおそらく「宮原がエースとして存在する世界」を否定するファンは存在しないでしょう。

また「ヘビー級は105キロを超えて当然」「身長だって185センチは最低ほしい」。そうした選手が正面からぶつかる試合こそが。全日のアイデンティティの一つでした。

大型選手と正面からぶつかれるサイズ感(120キロ超えの選手を投げる説得力)があり。明るく楽しく激しくという全日元来の哲学を体現できるキャラクター性をもつ。令和の時代でありながらファンの望むエース像を全て満たしている。それが全日ファンにとっての宮原です。いわば「他団体でその存在を例えることができないオンリーワン」に宮原はいます。宮原はそれだけ全日ファンにとって絶対的な存在です。

一方でそれだけ強固なファンの支持があっても、コロナ禍による停滞から全日は抜け出せていません。大会の開催状況も1会場あたりの動員は回復しても、開催数自体は激減しています。そうしたことを踏まえて、他団体と混ざることで他団体ファンに全日の良さを伝えたい。緩やかに路線を変更したい。金銭的に即効性のあるものがほしい。素人が考えても様々な思惑が想像できます。実際3.21の大田区総合体育館大会では新たに全日を見たファンも多いように感じます。

しかしそこに旧来のファンが求める世界観をはなかった。大型選手のぶつかり合いも、宮原の最高締めも。それがなくとも新規のファンは満足しているんだから良いではないか?そう思うことは正解でしょう。しかし私は正解を見たいのではありません。自分の好きなモノが見たいのです。その観点から言えば3.21の大会は不満でした。

自分の好きなモノを望むな。団体が潤えばよいではないか?でも私は団体を潤わすために全日を見てるわけでありません。楽しさで自分を潤したい。そこに変わらぬ哲学を残してくれているから好きなのです。

自分の楽しさを否定して団体の繁栄を優先することがはたしてファンのあるべき姿勢なのか?その答えはわかりません。少なくとも私にはその立ち位置はとれません。

ただ誤解してほしくないのは「3.21が楽しかったという声も間違っていない」ということです。感想は人それぞれです。各々のこれまでの背景が異なれば意見は違って当然です。私から言えること。それは「旧来の全日ファンが現状に不満があることを理解はせずとも不満の存在は認めてほしい」ということです。そして旧来のファンもまた同様に。「新規のファンが楽しかったという意見の存在は認めてほしい」。

我々の意見がどうあれファンに決定権はありません。であれば好き嫌いは自由にやっていきたい。無理にわかり合う必要はないし、殴り合う必要もありません。違いは違いとしてお互いのラインを尊重できる状態。それを私は強く望みます。




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