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映画「下妻物語」を娘と一緒に観た

はじめまして。火曜日担当のSです。みんなからずいぶん出遅れてしまい恐縮ですが、ようやく記事が書けました。


先日、映画「下妻物語」を、中学生の長女とふたりで自宅で鑑賞しました。
彼女は昔から日本史が好きで、それ故に映画を観るとなると歴史物を選びがち。しかしたまには趣向の違ったものを観てはどうだい?と前々から思っていた私。
10代の少女同士の友情を主題にしたこの作品なら、主人公たちと同じく思春期真っ只中の娘も興味深く観れるのでは、という思いつきで、この映画をお勧めしてみた次第です。

手掛けたのは「嫌われ松子の一生」や「告白」、最近だと「来る」でも話題になった、中島哲也監督。
作品をいくつか観た事がありますが、私的には、視覚的に強い印象を残す画作りや、戯画的なまでに振り切った演出、こだわりを感じさせる音楽の使い方、等々が印象に残る監督です。

この作品は、茨城県下妻市を舞台に、深田恭子演じるロリータ少女と、土屋アンナ演じるヤンキー、ふたりの少女の心の交流をにぎやかなコメディタッチで、ときに思春期の心象を詩的に描く、友情と成長の物語。
個性的で相反するふたりの軽妙なやりとりが楽しく、脇を固める俳優陣も芸達者な方が多く華やかで、徹頭徹尾大いに笑え、尚且つちょっとした切なさも感じさせる作品です。
公開されたのは2004年で、私自身観返すのは十数年ぶりでしたが、今見ても特段古臭さを感じる事は無く、とにかく楽しく鑑賞できました。
娘も始終大笑いしながら観ていたので、勧めた甲斐があったようです。

注:以下、本編の詳しい内容に触れる記述が多々ありますので、ネタバレを避けたい方はお気をつけください。





個人的に、この友情物語のどんなところに心惹かれるかといえば、ロリータ少女・桃子と、ヤンキー少女・イチゴ、このふたりの関係性。

桃子は、自分さえ良ければそれで良い、という独善的な思考を隠すことなく、自分の事を「マジで心根が腐っています」と言い表します。友だちは不要と言い切り、家族に対しても徹底して冷静な視線を投げかけ、「人間は一人で生まれ、一人で考え、一人で死んでゆくの」と他者に興味を示しません。唯一愛するのは、ロリータファッション。

一方のイチゴは学校でいじめに遭い、家にも何処にも居場所を見いだせない中、地元の暴走族チームに属し、「もう一人の自分」と表するバイク(原付)に青春を捧げています。

そんなふたりがひょんな事で出会い、イチゴが桃子を「根性の座ったヤツ」と一方的に気に入った事でで交流が始まります。出会った当初のふたりは、お互いの行動原理が理解できず反発し合い、特に桃子はイチゴに懐かれることを迷惑に思っていました。
しかし、正反対に見えるふたりだけれど、桃子はお洋服、イチゴはバイク、愛する対象への一途な思いは共通していて。
そして桃子は、なんのかんのとイチゴと関わっていくうちに、彼女が自分のそばにいる日常を受け入れるようになり、時に相入れない故の喧嘩もしつつ、しかしクライマックス、イチゴの最大のピンチに駆けつけ、その座った根性を発揮して彼女を助けようとするのです。

最後まで、ふたりはお互い過度に寄り添おうとはしません。
映画のラスト、自分の将来に想いを馳せ少しだけ成長した桃子は、しかし相変わらずロリータファッションを愛しマイペース。イチゴは「桃子のように一人になる」とチームから抜ける選択をして、でもバイクで走る事はやめず一人で走り続けます。

互い主義も思考回路も趣味も全く噛み合わない者同士のまま。しかし、そういう者同士でも互いを尊重し合えるし、友情は成り立つ。

そういうふたりの関係性を観ていて、わたしはとても癒されました。

異春期における友だち関係は、その子によっては家族よりも何よりも重要視される場合があり、ときにそこから共依存や、同調圧力、一転して排除に回る心理などが生じる事が、ままあるとかと思います。自分と他者との距離感の測り方を経験で学んでいく事はきっととても大切で、その過程で、お互いの心の境界があやふやになってしまったり、境界線の解釈違いが起きたりして、苦しむこともあるでしょう。

大人になって子ども時代の人間関係の悩みを振り返れば、「ああ、そんな事で悩んだ時期もあったなあ」なんて笑って思い出せる場合もあるし、いくら月日が経とうとも辛い思い出のままな場合もあります。いくつになったって人間関係にまつわる悩みや苦しさから逃れられなかったりもする。

しかし、桃子とイチゴの関係性から、そういった苦悩が生じる予兆は感じない。それは、ふたりが独立独歩を貫いているからだと思います。

真逆だけどある種似たもの同士、相手の生き方の美学を尊重し、馴れ合わずに各々の道をゆく。時にお互いの境界線を踏み誤る事はあるかもしれないけれど、尊厳を踏みにじるような事はせず。

そこにあるのは、

他人の事は結局理解できないもん、という清々しい諦念と、でもこの人が好きなんだ、という素直な愛情。

そういうある種の理想的な人間関係を、フィクションの世界であっても感じられる事でことで、わたしはなんだかとても心強い気持ちになるのです。

はてさて、中学生の娘はこの背中合わせの友情物語をどう見たかしら、と感想を聞いてみると、彼女が1番ツボにハマったのはこの作品のコメディパートで、友情云々にはとくに感銘を受けていない様子。

娘はマイペースで、自分の領域がとても大切で、他者にあまり深く関わろうとしないタイプ、そして今の所そんな自分を良しとしているので、いまだに友だち同士の人間関係の悩みとはあまり縁が無い。

彼女が友情というものに思い巡らせ、この映画の桃子とイチゴの関係性に、この母のようにグッとくる日は、まだ先かな。もしくは、もしかしてもしかすると一生来ないかもしれないけど、それはそれで彼女の人生なので、どのような成長と遂げるにせよ、母はあなたを見守り、愛するのみです。

まあ、昔から「ともだち100人」とかいうフレーズが好きじゃなかったわたしとしては、娘に共感する事も多々あるのだけれど。
でも、人生においてたった1人でも、ほんの短い期間でも「大切な友だち」と思える人に出会えたら、なかなか楽しいと思うよ。

他にも、桃子とイチゴを演じる深キョンとアンナちゃんのハマり具合とか、クライマックスの乱闘シーンとか、思春期とファッションについてとか、語りたいことは山ほどあるけど、さすがに文章が冗長になりすぎるので、今回はこの辺で。いずれ、もうちょっとイラストなど添えて、この感想文の続きが書けたらなー、と思います。

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