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【介護日記】とんでいきそうになった私をつかんだ手と手

認知症の母の手を引いてこの街にやって来て、もうすぐで一年になる。

母の認知症がアルツハイマーではなくレビー小体型か、あるいはパーキンソン病かもしれないと言われたのが今月のはじめ。

私はまたもや追い詰められていた。


「苦しい」
そう呟く母に本気で手をかけそうになった。涙をぼだぼだと流しながら包丁を片手にうろつく深夜の台所。

ある日ぷつんと糸が切れたように、「あ、もうこのままだと駄目だ」と思い、そこから怒涛のちんぷんかん祭りが始まった。

まずは断捨離。家中のものを捨て、思い出を捨て、恋人とも別れた。

次に、職場に迷惑をかけると思い、辞めることを前提にした長期休暇を申し出た。

よし、あとは母を今空きのある施設に送り出してしまえば、死ねる。

でも、職場の代表がそれを許さなかったのだ。
優しく真綿で包むかのような口調で、私から辞める真意を聞き出し、母を気にしないで私がまず休める環境に身を置けるよう速やかにあらゆることを手配してくださった。

その優しさを裏切って、私が人生で初めて自傷行為に走っても、肯定も否定もせず、じっくりと向き合ってくれた。

「私たちにはしがらみがうまれましたね。生きましょう。」

そう言って、捨てたものを棚に戻し、食事を持って来てくれた。

病院に入院し、生活の立て直しを図るよう、優しくも強く推してくれた。
職場の同僚たちは、帰ってくる場所はちゃんとあるからね、と長期不在をゆるしてくれた。


一度は私から振り払った恋人の手も、再び繋がれた。
「一緒に生きよう。」
これまで遠距離でほとんど会えなかった私たちだけど、この一件で、更に深く互いを想い合うことが出来ている。


戦友であり心の家族でもあるTwitterの方々も、浮き沈みする私の様子を見守り、そして手を差し出してくれた。

………………………………………………
私は大馬鹿者である。

たくさんのものを薙ぎ払って、うずくまり、泣いては自分を傷付け、果てには自分勝手に飛んでいきそうになっていた。

そんな穴の空いた風船のような私を、たくさんの手が掴んでくれたのだ。

今も正直また勝手に飛んでいってしまいそうになることもある。
あんまり暴発すると掴んでくれている手が一つ、またひとつと離れていくかもしれない。

正直、もう絶対に自傷行為はしない、死にたいと言わないと約束することは出来ない。
でも大切な人たちを傷つけることはしたくないので、これは寿命まで生きるしかないのだろう。

今度は掴まれた手を、私が離さないよう。
きらりふわりと飛んでいかないよう。


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