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【認知症映画#1 】長いお別れ


認知症のことを「dementia だけではなくlong goodbyeとも言うんですって」と教えてくれたのは、介護離職された職場の方だった。

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映画「長いお別れ」

父、昇平(山﨑努)の70歳の誕生日会。久しぶりに集まった娘たちに母:曜子(松原智恵子)から告げられたのは、中学校校長も務めた厳格な父が認知症になったという事実だった。
夢も恋愛もうまくいかず、思い悩んでいる次女:芙美(蒼井優)と、夫の転勤で息子とアメリカに移り住み、慣れない生活に戸惑っている長女:麻里(竹内結子)は、父が巻き起こす思いもよらない出来事の連続に驚きながらも、変わらない愛情に触れ、少しずつ前に進んでいく。
ゆっくり記憶を失っていく父との7年間の末に、家族が選んだ新しい未来とは―。
©2019『長いお別れ』製作委員会

(引用:Amazonプライムビデオ)


母 曜子

夫が少しずつ変わりゆく過程を、ポジティブに、時にはチャーミングに支える母曜子は、まさにお手本にしたいような介護者だった。

本を逆さまに読む夫に「お父さん、こっちの方が読みやすいですよ」とさっと向きを変え、少し経ってまた逆さよみすることには追求しない。

進行が進むにつれ、言葉も出なくなる夫が「あんた誰だ」と言わんばかりのあ、あ、う、と発すると「あなたの妻をしております」とおちゃめに返す。

曜子の優しさ、穏やかさの源はどこなのだろう。
映画の中で曜子は徹底して、声を荒げることもなく、家長である"お父さん"を立てる。

在宅介護をしていると、トイレ介助や食事介助において、当人にとっては理不尽な怒りを感じるものの、綺麗事だけで済まされない場面はある。映画ではそうしたシーンは一切排除されている。

ただただ妻として、保護者として、大きな愛情で包み込む様子に、「レスパイトとかしないと、お母さん倒れちゃうよ」とハラハラしてしまう。
そしてそれは特大ブーメランとして私に戻ってくるのだが…。

無意識の父性


厳格な父親が時折見せる優しさは、受けた側に忘れられぬほどの威力を発揮する。

印象的なのは、映画のポスターにもなっている遊園地でのシーンと、父と次女が二人、縁側に並んで通じてないようで通じている会話をするシーンだ。

娘たちが幼い頃に遊園地に来て、途中で雨が降り出す。その時、父 昇平がかさを持って迎えにくる。
認知症が進んでまだらな世界にいる昇平は、雨が降りそうになると決まって家族の分の傘を持ち徘徊する。

そんな娘が大きくなり、失恋をし泣いていると、まるで熱でもあるのかと聞くかのように父親が娘のおでこに手をあてるシーンがある。
そして悩む娘に、「そうだな」「うん、まあ」と紡げる言葉を引き出し、引き出しする。

それは我が家でもそう。
母の前で涙を流すと、必ずおでこに手を当て、「熱あるんじゃないの」「風邪ひいとらんね」と心配してくる。

ついさっき怒鳴ってしまったことへの罪悪感で泣いているのに、母はいつも私の心配ばかり。そんな姿が、映画の中の"お父さん"と重なってみえた。

本人だけの気持ち


「この頃ね、色んなことが遠いんだよ」
そう孫に漏らした父 昇平の真意。

「この頃言葉がこぼれていくっちゃんね」
そう私に呟いた母の気持ち。

それは家族だからといって分かるものではない。

映画の中で娘たちが"家族だから"と括って物事を考えているのに対し、
「お父さんの考えがなんであんたたちに分かるの」と柔和な母 曜子が一喝する。

誰よりも長く密に支えている曜子が言った言葉は、私の心を突いた。

私は母に優しくケアすることが出来ず、苦しみ、自分を傷つけてたりしている。
母が施設に行くことを決めた今も、お母さんごめんね、と涙を流している。

心穏やかに安心して生きてほしい。

その為の手段として施設を選び、泣く私に、曜子の言葉がビンタされたように効いた。

母の気持ちは、母のもので、私や周囲が勝手に憶測し、決めつけるものではない。

お母さんの人生は、お母さんのものだ。
そして私の人生も、私のもの。


映画「長いお別れ」は、明るいメロディやクスッと笑える演出で、観る者を暗い気持ちにさせずに、家族や今という時からお別れしていく一人の人間とその家族を描いている。

long goodbye

少しずつ離れていくお母さんに、曖昧な喪失を抱えながら、お別れの準備を一緒にしよう。


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